DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

255日(自分ゴト化するスイッチの場所を知っておく)

学生時代をふりかえる。
宿題になかなか手がつけられなかった。それは集中力が〜とかいろんな要因はあるのだけど、総じていえると今思っていることは、その課題が自分ゴト化できてないからだと最近考えている。自分ゴト化とは一言でいうと、当事者意識を持つこと。反対の意味の言葉が他人事。この言葉もよく言われる。無責任とか。

当事者意識とは、かんたんにいえば「自分がやらねば」という義務とあわせて、使命感のようなニュアンスも含まれるんじゃないかな。「やってみたい!」というポジティブな感情もあって、もしかすると挑戦のような意味合いが出る場合がある。つまるところ、自分ゴト化って、当事者意識を発生させるために、さまざまな角度から意味付けを能動的にする行為でもあるのではないかと。

たとえば入学当初はぜんぜん勉強しなくても、受験勉強は必死こいてやる。それは、受験勉強という行為が、自分にとってどういう存在か、ということをみんなわかっているから、あれだけエネルギーを注力できる。受験は将来につながる合否という指標が客観的に提示しているのでわかりやすいけれど、社会人になった身近な事柄でも、能動的な意味付けを仕組みとしておこなえると、いいなって思う。

アタマでは「やった方がいいな」って思っているけれど、いざ腰がなかなか上がらないって課題は、仕事はもちろんふだんの生活を含めてよくあると思う。自分のなかの優先順位は高いはずなのに、なんか乗り気になれない。アタマでそう思うということは、理屈としておそらく実際にやった方がいいこと。そこに行動がのらないのは、まだ完全に自分ゴト化できていない。

そうして時間がダラダラと流れていってしまうことはぼくもよくある。それこそそんなときにやっておきたいとアタマで思うことは、その課題を自分がどうやったらより当事者意識を持つことができるかを考える。もしかしたら机に数時間向かうよりも、外に出てあそこに行って、あの人と話をすることが、自分の使命感を高めることができるのではないか。

そうしたら周辺から攻めることになるかもしれないけれど、切り替えてそうした行動をしてみる。そうすると自分のなかの優先順位が思いっきり上にあがって、はやく課題に手をつけたくなることがあるものだ。結果として、そっちの方が早くて、質も上がるかもしれない。

このあたりのコントロールがうまい人はきっといて、自然に仕組みにできているんだろうなあと。自分との対話を大切にして、ときには正直に、ときには自分さえごまかしながら、物事を自分ゴト化できたらいいなって。