DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

243日(「犬ヶ島」を観て感じる日本的なもの)

ウェス・アンダーソン監督の最新作「鬼ヶ島」を観た。ストップモーションの手法で日本が舞台となっている。

近未来の日本、架空の都市メガ崎市において犬をゴミの島へ追放する法が可決。自分の愛する犬を失った12歳の少年がひとり島へ降り立ち、愛犬を探すまでの冒険。大人の陰謀に立ち向かう物語。

ウェス・アンダーソン監督の左右対象の表現は健在。日本を舞台にする映画をつくるだけでもワクワクするのだけど、まさか犬にフォーカスを当てた設定にするとは。

観ていて海外の方がとらえる「日本的なこと」にあらためて興味を持った。徳川綱吉や桃太郎、七人の侍、太鼓、相撲、歌舞伎的なもの、いろんな日本的なモチーフが出てくる。

おそらくこの「犬ヶ島」は日本人が手がけたらまったくちがう作品になっていたのだろうなあと。もちろんウェス・アンダーソンの芸術的なオリジナリティが強烈だから、他の方が撮るイメージはなかなかできないのだけど。

たとえばNetflixの「アウトサイダー」も、ヤクザ描写はじめ相撲など日本を舞台した作品。海外の方が監督なのだけど、魅力があった。

ぼくのなかで言語化できていなくて、おもしろいなと思うのは「海外の方が撮った日本的なものか」は、パッと見ただけですぐわかるということ。これはなんなのだろう。

たとえば日本がお金を払って、日本の良さをアピールするために、日本の映像をつくってもらっていたけど、ああいうのも一発でわかる。

海外の方が日本を観る視点に共通の要素があるのか。同じ日本でも日本人と海外では、日本的なものの切り取り方がちがうんだろうなとは想像しているけれど、どうなのだろう。

ではもしも、イタリア人が考えるイタリア的なものと、日本人のクリエイターがイタリア的なものをアウトプットしたら、イタリア人はなんて感じるのだろう。

こういった言葉にちょっとしずらい、文化のちがいというか差異みたいなもの(プロクセミックスとか言うのかな?)は本当に奥深くておもしろい。あらためて日本的なことも、自分のなかでもうちょっと咀嚼してみよう。