274日(目的は忘れた方がいいのかもしれない)
人生という平均台を進んでいる。
そんなイメージ。足下を見ながら着実に今を歩くか。ずっと先を見てゴールを逆算しながら前を行くか。ぼくはいままで、大きくこの二つの生き方があって、どちらが自分に合うのだろうと考えてきた。
先日、近所の兄ちゃん的な知り合いとバーで久々にご一緒した。家が近いと「一杯だけ」というのが本当にできるからありがたい。同性で4つ年上。業種はちがえど共通の知人もいる。昨年、会社から独立してフリーとなって1年。ポートフォリオ的な仕事の仕方をしていてさすがだなあと思っている。
「海外にしばらく行こうかなって」ぼくはその話が出たときに、つい目的ありきで聞き出そうとした。英語を勉強しにいくのか、海外での学びを仕事に生かすのか。それとも活動の場を海外でも広げていくのか。答えはノー。いろんな話をした。ぼくが感じたのは「自分のことを誰も知らず、肩書きさえもいっさい通じない環境に身を置いてみたい」ということ。ゲーム的にいえばリセットの疑似体験だと思う。
フリーになって、しばられずに働けるようになった。まだ結婚もしていない。この先の何十年を考えたときに、そういう行動ができるのはいまだけじゃないかと。後になって後悔するなら、いましっかり生きてやろうと。そういうことだった。要するに、先も考えるし、いまも意識する。そうやって両立していけばいいんだ。
わかりやすいものを求めやすい。もっと合理的にというふうに。目的を置きたがる。むしろ目的が自分をしばることで、人生そのものが単調になってないか?それではもったいない。映画でよく出てくるセリフは本当の気がしてきた。「人生は複雑の方がおもしろい」。そして道は一つではない。まわり道をしていいし、一度止まってそこでしか見れない景色を楽しんでもいい。ゴールなんてものはそもそもなくて、自分で決めるかどうかだ。