DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

297日(「日本再興戦略」を読んで)

いいなあと思うところ。

具体がメインであること、それを裏付ける論拠が過去を軸としているので客観性がある。その論拠を支える上での知識。だから読みやすい。そして題名である通り、ポジティブな内容になっている。中途半端な日本を褒める本ではない。実践的であるし、落合さんがこれまで言ってきた内容は一貫している。落合さんの日々の発言をちょっと知ってると、その肉付けとしてインプットできるので、頭に入ってきやすいのかもしれない。

そしてなんとなく「良いよね」とされていることに対して、ちがうものには指摘がしっかり入る。たとえば英語教育。Googleはじめ翻訳機能の向上による言語学習の不要論はわりとあるが、落合さんは実体験を基に「英語で伝えたいことがあるか」を問う。あくまで英語はツールである。必要で、使う。だから覚えるし、話せる。必要性もないのに、英語を学ぶ必要があるのか?

とくに参考になった箇所。西洋的個人思想が日本には合っていないという指摘。もともと江戸時代には個人という概念がなかったことは知っている。西洋思想は個人がいかに神になりうるかという視点がある。東洋はもともと個人と世界を二分してこなかった。たしかにそう。西洋はゾロアスター教から始まって光と闇で二分してきた。では東洋は?東洋的思想とは一言でいえば自然。日本は、自然のエコシステムに組み込まれてきた。西洋的個人の輸入によって個人を過度に意識されるようになっている。西洋は見本か?

いや、むしろ西洋は政治におけるポピュリズムの台頭が個人的判断の限界を示していると。では、どうすべきか。個人ではなく、ぼくたちという自らの属するコミュニティをベースに考えるべきであると。ここが目から鱗だった。西洋的な依存なき個人に立脚する考えは戦略的に向いていない。必要なのは所属するコミュニティ同士の判断基準をぶつけていくと。そういったコミュニティはイノベーティブだという。

さらに話は仕事観へ。西洋的な二分は仕事とプライベートにも及ぶ。日本にもその考えが輸入されているが、これも合っていない。ワークライフバランスではなく、ワークアズライフだと。落合さんが常に言っていることだ。日本をふりかえればたとえば百姓。字のごとく百姓には100の業があった。仕事のポートフォリオを増やして、仕事を生活の一部に取り込んで、無理なく働く。本来の日本人の働き方であり、生き方である。

現代にアップデートして考えてみれば、働き方改革でいうパラレルキャリア、つまり複数のコミュニティに足をつっこんで、そこでナリワイをつくっていく方法は合っている。そしてコミュニティは、サロン的な、私塾のようなオープンだけど帰属意識の高いものが価値を持つ。生涯学習、サロン、私塾にはたいへん関心があり、その必要性がロジックとして、つながった。

他にもふれたいところがたくさんあるのだが、総じてオススメ。