DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

359日(能の歴史の変遷、そしてテレビ)

ドナルド・キーンの「能・文楽・歌舞伎」を読んでいる。

能の歴史の変遷、一つのジャンルを確立し、継続させる難しさ。そしていまもなお、存在し続ける能に対して、畏怖のような感情を抱いた。アタマの整理としてほんと、ざっくり記してみる。

室町時代。能は足利義満によって発見されたといっても過言ではない。義満は文化への理解が深く(和歌も上手い)、観阿弥、世阿弥の演技を評価した。褒め称えた。地位も与えた。義満をきっかけに猿楽は能へと昇華し、世阿弥を通じて能は全盛を迎える。

「風姿花伝」があるように、世阿弥は演技論を残している。たとえば演技のなかでの客観視の重要さを説いた「離見の見」(『花鏡』)などは、いまでも語られている。ちなみに世阿弥は80歳を越えるまで生きるが、70代で壱岐に流されるなど、義満以降の将軍から変に目をつけられてしまった節がある。

世阿弥以降も能は受け継がれていき、能は豊臣秀吉から寵愛を受ける。いや、秀吉が貴族や僧侶になめられぬよう、素養として能を学ぶことを決めたのだ。実際、秀吉は能にはまった。秀吉を題材とした能の作品も書かせた。

江戸時代に入ってからは、能は儒教の精神に見合うと判断され、礼楽として儀式的に披露されるようになった。武士もたしなみとして能を学び、また大名が能を学び、舞台で演ずることも出てきた。そうして能は大衆性を帯びていく。

一時期は商業的な利用が増え、世の中の出来事を能にするなど、作品自体もかなり増えた(一度きりで消え行くものが多数)。能の内側の者たちは、そこに危機感を覚えた。結果として能は、宮中での儀式行事で演じられる芸能へ変化する。中身も儀式的に変わり(たとえば語尾が伸びる)、実は世阿弥の理想に近づいたという考え方もある。

さあ明治。西に習えの時代となる。古臭い風習として能がターゲットにされるおそれも十分にあった。しかし、当時の日本は西洋列強と対峙して相対化が起こり「何が日本的であるか」を考えざるを得なかった。そんな矢先、アメリカとヨーロッパを視察でまわっていた岩倉具視はオペラを鑑賞してそのときに能を思い出す。能とは、日本が誇る文化ではないかと。

岩倉具視は、海外の要人におもてなしとして能を披露させた。能にとっては幸運、アメリカのグラント将軍はすっかり気に入り、能を後世に残すべき(維持・保存)と言った。その一言もあり、岩倉具視は能を保護すると決めた。その後、能は国からの支援を受けるようになった。皇太后や貴族が何百人も集まって能を鑑賞することもあった。昭和以降、政府に利用され、そして戦後も耐えた。能は生き続けてきて、今日にいたる。

おもしろいなあと思いながら、読んでいてテレビを思い出した。テレビ史からみるテレビ。文脈としてのテレビ。文化としてのテレビ。サンキュータツオさんは「文化とは、経年に耐え得る強度のあるもの」と言った。能は文化だ。ではテレビはどうか。

文脈があるから、たけし・タモリ・さんまのビッグ3が存在し得る。アベマTVが大金を出して彼らを無理矢理そろえてもコーフンしない。そこに文脈がないからである。いやでも、ネットフリックスがさんまさんにテレビを語らせている様を広告で使うなど、外野ならではのおもしろい動きもあることはある。アベマTVだって、あの野心的な企画はテレビ創成期のプリミティブな感覚を思い出す。そういうテレビ好きだって確実にいるはずなのだ。

テレビは100年後、どのように語られるか。能を感じながら、テレビを思った。