241日(サービスにおける価格帯を考えてみる)
「東京には高級ホテルが足りない」
デービッド・アトキンソンの言葉がいまだに印象に残っている。どうやら日本は世界のなかでも具体的に言えば5つ星ホテルが実際のところ少ないらしい。外資系で高級ホテルと謳っているところも当然日本には参入してはいる。ただしたとえばフランスと比較すればフォーシーズンズホテルなどは平均価格が倍以上もちがうらしい。
それだけ日本では、飛び抜けた高単価で勝負することがホテルにおいてなかなかハードルが高いということであろう。ちなみに本当の富裕層は一泊に費やす平均価格は100万円をゆうに越すらしい。日本に来るか秘書が検討するも、このホテルでは安すぎて主人を泊めさせられないと断念することが本当にあるという。
高級ホテルの幅をもっと広くすることが求められているということ。価格をグンと上げることはサービスの向上なしに語れない。何をグレードアップするかというと料理などの足し算には限度がある。ホスピタリティにどうやって付加価値をのせていくか。そこを考えるだけでホテル業界の向上につながるという指摘はなるほどなと思う。
世の中見渡せればそもそも価格帯のバリエーションに幅がないビジネスってたくさんある。もちろんホテルや旅行や繁忙期に高いような、そういった幅はある。しかし旅行で言えば、皮肉にもゴールデンウィークは廃止すべきという指摘もある。おもしろいから記しておこう。世の中のお父さんは家族サービスという名のもと、大渋滞があってもガマンして家族と旅行にその時期にいく。大型連休はそこしかとれないということで。
まさに「かきいれ」状態の旅行業界は、ゴールデンウィークにここぞと価格をつりあげてパッケージで売りさばく。で、こういうシステムって本当に正しいの?っていう指摘。たとえば訪日のインバウンド旅行者にしてみれば、交通インフラどうなってんだよという話だ。花火大会しかり。この時期このイベントってそういうものだよねっていう暗黙の了解が、受け手と送り手双方にあるのはおかしいんじゃないかって。
話をもどす。ゴールデンウィークの廃止論はぼくも賛成なのだけど、そもそも価格がいつも同じでもったいないビジネスがある。たとえば演劇鑑賞の舞台であったり、映画であったり。なんでガラガラなのにずっと1800円で、それこそゴールデンウィークのような繁忙期でも同じ金額なのだろう。そのときや場所によって、価格を変えてしまえばいいのに。そのオペレーションをシステム化するイニシャルだったりそういったコストがかさむのはわかるのだけど。
あとは一律フリーつまり無料になっているサービスもしかり。たとえば観光地。ふわっとした無料サービスのガイドがあって、内容はたいしたこともない。そこに外国人用のケアもない。無料でここまでやっているという日本流のサービス精神。いやだったら、有料で買いたい方からはしっかりお金をとって、しっかりしたガイドを提供してあげた方がみんな幸せになることがある。
どうやら日本は「お金をとる」「稼ぐ」ということに対して、その発想をおのずと避けてしまうきらいがどこかあるような気がしている。民間企業にもいえることだと思う。無料の範疇でどれだけ効率的にまわせるかみたいなことを一生懸命に考えたりする。だけど、正解はもっとかんたんでシンプルなときもある。そういった意味で有料化し、そのなかで価格帯の幅をつけていく。そんな心持ちでいた方がいいなって考えている。