DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

358日(キンチョーと関わる2つの方法)

「どうやったらキンチョーしないのか?」

聞かれて考えた。発表やらプレゼンやら交渉やら。人前でお話するにあたって、自分はキンチョーとどのように関わっているのか。コンパクトにまとめて記したい。考えとして、大きく2つある。

①「キンチョーするほどでもない」という理由をどれだけ持てるか

まず前提として、多少のキンチョーはあった方がいい。「うまくいきたい」という意思のあらわれだ。ただしキンチョーしすぎると、本来のパフォーマンスがどこかに隠れてしまう。ぼくが思うに、キンチョーはコントロールするものではなく、向き合うもの。「上手に付き合おう」などよく言われるが、そのニュアンスに近い。

その上で「キンチョーしすぎることはないよ」という理由を自分の心で確認する。たとえば、これだけ練習してきた、場数を踏んできた、失敗・経験をしてきた。だから思いっきりやろうと。

それでもキンチョーしすぎるのは、成功イメージの理想が高すぎるのかもしれない。理由を確認するのなら、できるだけ定量的で、かつポジティブだといい。定性的、つまり感覚をベースとしてもよいが、自分で自分を納得させることができず、そのズレがまたストレスになることもある。割り切って、自己暗示をするのも一つの手だとは思う。

「これだけ練習をしてきた」でいえば、野球の鉄人・衣笠。一日も欠かさずバットを振った。落語の立川談志もそれにちかい。やらないと(練習しないと)きもちが悪くなる、要するに不安になるのだ。だから毎日やる・考える。イチロー選手もそれに近いのだろう。

技能を伸ばすための練習。そして不安要素をすべてつぶし、ベストコンディションにするための練習なのだ。立川談志は、そういった意味をふまえて「落語が好きなんでしょう」と振り返った。好きであって、努力ではない。ここはもっと説明が必要なのだが、明石家さんまさんや、所ジョージさんも同じようなことを言っている。努力は見返りを求める。

②堂々とした姿勢をとる。

人は意識をしないと楽な体勢、姿勢をとってしまう。鏡を不意にみてはっとすることがある。はじめは意識しないとなかなかむずかしい。オススメなのがぐーっと胸をはること。まずはそれだけでいい。ハッタリでいい。気分をごまかす。

いや気持ちだけではない。たとえば胸を張って背筋が伸びると、発声がよくなる。人は自分の声で自分の感情を認知することがある。怒った人は自分の怒った声で感情を認知して、さらに怒る、なんてことが本当にある。相互作用論の領域なのだが、バカにできない。

大きくはこれら2つ。ぜひぜひ。そして自分も、あらためて心がけよう。