373日(自分インタビューを考える)
はあちゅうさんの「自分への取材が人生を変える」を読み始めた。
あたま部分だけ。「2歳から作家になりたい」という冒頭でいきなり「ほんと?」と思ってしまった。しかし同時にそれは正しいと思った。実際そうなのだろうし、もっというと、他人にはわかりえない。
歴史は勝者によってつくられてきたように、自らの歴史は自分で編纂するものなのだ。振り返ってみて、すこしでも思い当たる節があるのなら「そうだ」と思い込んで解釈する。そうした積み重ねによって、自分の歴史が点の集合から線となり、立体的にみえてくる。
その意味では、みうらじゅんさんの強さは「変わらないこと」にある。仏像や紅本などのスクラップ記事を小学校のときからやっていて、それが現存していて番組に持ち込むわけなのだけど、その強度にこっちはやられてしまう。「この人ホンモノだ!」と。ものが残っているのもそうだし、自分の歴史観を貫いているというか。
余談だが、テレビバラエティのビッグ3において、明石家さんまは自らを18歳のデビューから「変わらない」ことで、自分が権威となることとのバランスを取っている。ビートたけしは北野武をいったりきたりする「振り子」であり、タモリにおいては「引き」である。もっと説明したいところだけど、ここではひかえる。
自分史の話に戻るが、News Picksで時折、その方の人生をすべて伺うようなボリュームの記事がある。たとえば糸井重里さんの記事では幼少期の頃からの話から始まっていて、「よくこんなに整理して自分のことを話せるなあ」と勝手に関心をしていた。
実はあたりまえで、よくインタビューされる人は「それだけ聞かれる体験が多い」のである。インタビューを求められれば、事前の準備をするなかで聞かれることについて、ある程度は整理した状態をつくる。そうして本番があり、記事化されたアウトプットがあり、また取材に応じていく。
そのような循環があることによって、インタビューされる方ほど自分史の輪郭がはっきりする。成功者が、自分のことをよくわかっているのは結果かもしれないが間違いない。
はあちゅうさんはそこで「自分インタビュー」という切り口で本を書かれたのだろう。本田直之さんの「パーソナル・マーケティング」においても、過去をふりかえるワークがある。なにが嬉しくて、なにが嬉しくないのか、体験を軸に思い返しながら書き出してみる。すると自分がどういう人物かが浮き上がってくると。自分インタビューのすすめ。