DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

266日(既知の整理と未知の発見)

テレビ好きの漫画家と放送作家とぼく。

三人で定期的に行っているテレビトーク呑み。とくに仕事の話や愚痴もプライベートの話もそんなにしない。テレビとお笑いの話をただする会。昨日あった。

それはそれは楽しい時間だった。こういう回を通じて時間とは相対的であると、つくづく思うのである。いつかの鳥貴族を思い出す。トイレへ行くときに席を立つとき、ふと周りを見渡してみた。

すると、サラリーマンや学生やらOLやら皆さんが、笑顔で楽しく会話をしている。その瞬間がやけにスローモーションのように脳裏に焼き付いている。誰かと楽しくおしゃべりすることが人生を豊かにする大事なエッセンスだと、ぼくは本気で考えている。

実際、イタリアのどこかの長寿の方が多い街で、その秘訣を聞いて回ると「酒を飲んでたのしくおしゃべりしているから」という理由がよく挙がったそうである。おしゃべりは人をイキイキさせる。

もうちょっと踏み込んで考えたい。おしゃべりするということは、近況の報告やら、なんてこない雑談やらさまざまである。ぼくたちの場合は「テレビ」という共通のテーマだった。同じテーマで同じメンバーでざっくばらんに話を何時間もできるっていうのは、ふと冷静に考えてみれば、すごいことだ。

一つ思うのが、既知の整理と未知の発見を、共通テーマから見出したいのではないかということ。自分の知っていること、つまり既知については再確認をしたいのである。そこで脳で思い出して悦に浸かることもある。酔って同じ話をしてしまうことってあると思う。奇しくも、とんねるずの木梨さんはそのことを「確認作業」という呼んでいるらしい。

知っていることが多くなれば、当然、知らないことは、だんだんなくなってくる。だからこそ、未知が貴重になってくる。そしてその未知は、ほとんど埋まっているジクソーパズルのピースのように、欠けているもののカタチもなんとなくわかってくる。だから、その周辺の話をするだけでもおもしろいし、そのピースを見つけたときの喜びはひとしおだ。

以前、恵比寿の美味しい飲食店を完璧にマスターしたいと思っていた時期があった。その時期は本屋でグルメ雑誌を片っ端から読んでいたのだが、恵比寿にある店舗しか見ない・読まない。そうすると人気店はどの雑誌でも取り上げられるから何度も目にする。知っているお店ばかりになってくる。そうしたときにたまに未知のお店を発見するとうれしくなるし、その雑誌に感謝して買って帰ったりしていた。

話を戻すと、毎回のテレビトーク呑みで未知の領域が出てくるからそれがまたおもしろい。テレビには世代差と地域差が潜在的にあるととらえている。70年ほどの短い歴史だが、当然リアルタイムで知り得ない番組はたくさんあるし、ましては地方ローカルの番組は、リアルタイムでも観ることができないわけで。そんなテレビだからこそ、三人集まるとそれなりにお互い未知の部分を出し合えるということだ。

いまアメリカでは、FacebookやTwitterという二大コミュニケーションのプラットフォームサービスが、会話のネタを助長するという観点で野球コンテンツを獲得しようとしている動きはたいへん興味深い。いやいや、テレビも居酒屋の会話のネタにはもってこいである。