DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

352日(「型がなければ型破りはできない」ということ)

舞台演出家、杉原邦生さんのトークショーを観た。

ふれこみはこんなかんじ。
「第一回目となる今回は「古典演目を現代に上演すること」をテーマに、大蔵流狂言方の茂山童司さん、歌舞伎俳優の中村壱太郎さんをゲストにお迎えしてお送りします。」

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主宰の杉原さんは、3月にいく木ノ下歌舞伎「勧進帳」の演出を手がけている。トークで知ったなのだが、なんとワンピース歌舞伎の演出助手も務められていた。ワンピース歌舞伎といえば、その企画を知って「くやしい」と感じたほど、思い入れの多い作品。「誰が両者をつなげたのだろう」と観る前からワクワクさせたし、内容も素晴らしかった。

で、そんな杉原さんは伝統芸能と呼ばれるような作品に対して現代劇的なアプローチをすることで、新しいシナジー、価値をつくってきた方だ。古典を現代にということで、歌舞伎の他にはシェイクスピアの作品も手がけている。

トークのなかで「これはおもしろい」という点がいくつかあったので、一つここに記しておく。トークの内容というか、木ノ下歌舞伎の稽古の方法そのものなのだけど、ぼくにとっては膝を打つような話だった。

歌舞伎の演目を歴史的な文脈を踏まえつつ、現代における可能性を模索する木ノ下歌舞伎。木ノ下歌舞伎には、完コピ稽古という方法がある。たとえば「勧進帳」が題材と決まったとして、主宰の木ノ下さんが「この勧進帳」という映像を選ぶ。そして完コピ稽古が始まる。名前の通り、完璧にコピーする。映像の中で言い間違えがあったとして、それさえコピーする。稽古全体の3分の1程の時間を完コピ稽古に当てるという。

実際は、演出も脚本も「変える」わけだから、本番とは関係はないようにみえる。はじめは「なぜこんなことをするの?」と戸惑う役者の方もいるようだ。しかし、ほとんどが終えた後、完コピ稽古なしに演じられなかったと口を揃えるという。

杉原さんいわく、中村勘三郎の言葉がアタマにあるようだ。「型がなければ型破りはできない」。現代劇の役者には歌舞伎はじめ伝統芸能の役者とちがって「立ち返るもの」がない。それは原点、基準、土台といったところか。ちなみに志村けんさんも以前、「常識がない者にお笑いはできない」といったことを言っていた。常識あっての常識はずれ。格があっての破格なのだ。

この木ノ下歌舞伎における完コピ稽古は芸能、芸術、ビジネスなどあらゆるところに通じると感じた。「これ」という対象を見定めたら、そこから基準を会得するまで徹底すること。また、新しいものをつくるとして、そのジャンルの文脈を理解することである。ジャン・コクトーやウィリアム・フォーサイスではないが、そういったところから新しい創作が生まれるはずだ。