DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

396日

ヒマについて考える。
ニュース記事やいくらかの本を読んで「ここに行き着くなあ」という言葉。それは「余暇の過ごし方」。要するにヒマをどうつぶすか。AIの発達、ライフ・シフト、人生100年時代、働き方改革等々。これらのテーマで必ず「ヒマ」が垣間見える。物理的にも社会的にもせっせと働く必要性が薄まり、人間としての生きる時間も長くなる。そう、人はヒマを持て余すようになる。

今後、ヒマのつぶし方そのものをレクチャーするような需要、仕事が生まれる。娯楽はこれまで以上に不可欠な存在になるかもしれない。具体的な消費のトレンドとして感じるのは「学び」。「どうせならヒマを有効活用したい」。そんな社会人や60代以上の方々は多い。そこで知的好奇心をコンテンツによって刺激する。さらにその「学び」から自身の生き方を考えさせる。そんな内容だと、なおよい。余談だけど「君たちはどう生きるか」のヒットはそんな時代の流れにジャストミートした。

ぼくはヒマつぶしへの世の中的な着目は、ここ何年のお話かと考えていた。そんな矢先、一冊の本に出会った。「暇と退屈の倫理学」。ジャンルとしては哲学書になるだろうか。まだ1章までしか読み進めていないが、もうおもしろい。

この本は、そもそも人間はなぜヒマ・退屈を嫌うのか?という問いから始める。1章はそれについて考えられてきた歴史からひも解いていく。たとえば考える葦でおなじみパスカル。

「人はヒマをガマンできず、外に出てより不幸になる。人はヒマをつぶすためにわざわざ自分に負荷を与えて、その先に幸せがあるかのごとくさまよう。たとえばウサギ狩りをする人は、目的はウサギではなく狩りでヒマをつぶすこと。仮に毎日狩りをし始めるときにウサギをプレゼントしてしまうと、その人は不幸になる。」こんな調子である。

おもしろい。中世以降のヨーロッパではとっくに考えられていた。それ以降でも別の学者はこう考えた。「ロマン主義的な思想の広まりが、ヒマと退屈を苦痛のものとした」と。ゆえに人は生きる意味を見出そうと悩むと。本当にざっくり表すとロマン主義とは、悩みもがきながら、自らの人生を理想のものにしていくこと。まさに現代の考え方の下地になっているのではないか。平和の状態となり安定すると、共同体的な生き方から個としての生き方に変わってくる。

なにせ昔はいまよりも娯楽が少ない。仕事もいまほどシステマチックでない。それなりに衣食住が整えば、ヒマと退屈と付き合う必要性が出てくる。そこで自分の人生の意味など考えず、ただその刹那を生きれていればヒマと退屈の意識さえしない。個としての意識の芽生え、人生について考えると、ヒマ・退屈そのものに輪郭が付き、どうつぶしていくかの問いが出てくる。

ヒマの過ごし方を考えることとは、そもそも自分がどう生きるかを考えることに他ならない。ここがおもしろいなあと思う。さあ「君たちはどう生きるか」。