223日(手を挙げるキャラになること)
どちらの芸人が言っていたのか忘れてしまったけれど、鮮明に覚えている言葉がある。
「10年お笑いをひたむきにやっていれば、売れるチャンスは誰にでも必ず一度は巡ってくる」
ぼくの解釈としては、10年間、たんたんと、ただ活動していて成功することはまずない。皆無だ。
一度は巡ってくるチャンス。それはつまり、努力して手を挙げていれば「じゃあ君!」と、一度は打順が回ってくるということ。そこでホームランを打つのか空振りするのか、はたまた見逃すのか。
まず手を挙げることでそのチャンスに挑戦する権利を得ることができる。そこでものにできれば万々歳。もちろんうまくいかないときもある。誰だって毎回ヒットを打つことはできない。では空振りした後に、再び手を挙げているか。
いまの仕事においていえば、手を挙げ続けることで「こいつは手を挙げるキャラクターだ」と認識されるようになる。実は、ここが大きいなと感じている。もちろん、指名されたときに、最大限のパフォーマンスをしている前提ではあるが。
小学生の頃の意味もなく「はい!はい!先生!」と挙手するやつにはなってはなるまい。逆にいえば、周りはみんな場をわきまえているから、手を挙げる人も少なくなっている。若手と言われる時期にキャラが付くと楽だ。
「手を挙げるキャラ」になることで、別のところで指名がかかることがある。「あいつならこれも手を挙げるんじゃないか」って。そういった積み重ねが自分をつくる。これは仕事に限らない。
人間には自己保存の法則があって、現状を維持しようとするようだ。場合によっては、手を挙げるという行為は、極度の緊張を伴う。
場数をふめば、緊張しなくなる。それは、手を挙げたその先が経験によって想定できるようになり、自己保存を脅かさないようになるから。
要するに慣れだ。慣れはそれはそれでつまらない。だったら手を挙げていった方がおもしろい。緊張したらラッキー。自己保存なんてクソくらえだ!