DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

265日(音楽のフリー問題と二者択一)

「ブルーノ・マーズはリック・ジェームズに影響を絶対に受けてるよね!」
石橋さんは、こう言った。「石橋貴明のたいむとんねる」ディスコミュージック回での一場面。ぼくはリック・ジェームズを恥ずかしながら知らなくて、調べようとした。いつものクセだ。

YouTubeを開こうとしたそのとき、自分のなかにあった、ふわふわとした違和感をつかんだ気がした。それは、こと音楽については「無料」が前提になっているという事実。気に入ればプレイリストに入れることもある。あくまでYouTubeの話だ。

たしかに音楽のビジネスモデルは90年代全盛を迎えたCDからどんどん移行している。それに従ってコト消費、つまりライブを中心としたビジネスモデルへ音楽はシフトしていっている。YouTubeは顧客に知ってもらう入り口としてフリーで楽曲、MVなどを公式が置く時代。再生数に応じて広告費が公式に入っているのなら、まあよいのだろう。

その一方で、現在はサブスクリプションのビジネスも盛り上がってきている。音楽についても言うまでもなく、いくつもサービスが立ち上がってきている。ちょうど音楽との新しい出会いがほしいと思っていたし、そういえば父親でさえGoogleミュージックで音楽を聴いている。エンターテインメントの業界の端くれにいる者として、そこは有料でアーティストに少なくともお金がおちる仕組みができているサービスを利用しようじゃないか。

エンタメのコンテンツのお金にまつまわる話は、正直むずかしい領域でもある。最近ぼくが「21世紀の楕円幻想論」で学んだことは、こういった話は、二者択一ではなく程度の問題ということ。

かんたんな例としてお酒とたばこは楽しいものであるという一面があれば、カラダによくないという一面もある。そこででは、お酒とたばこがアリかナシかを迫ることには意味がなくて。こういった思考停止のような二者択一が世の中蔓延しているという指摘があった。たしかに政治家が「アリかナシか!」とよく言っている。YESかNOか、わかりやすくなのだろうけど、かえって問題の本質から離れるおそれもあるまいか。

では音楽といっても、YouTubeで音楽を聴くのは違法ではないし、公式がUPしている楽曲を聴けば、場合によっては広告収入がいくわけなので、お金がまわらないわけではない。ただ場合によっては、ファンがアルバムのCDをまるっとUPしていたり、ストリーミングではなくダウンロードができる機能?関連アプリ?もあるようで、そこはおそらくグレーゾーンであろう。

じゃあYouTubeを利用するのはアリかナシかというとそういうわけではない。本当にファンであれば、物販も含めてしっかり購入すればいいし、ライトなファンでもサブスクリプションを通じて聴くだけでも、それぞれでいいわけで。サブスクリプションモデルつまり有料で利用するか、YouTube等を使うかは節度であったり、程度の問題なのだ。

程度や節度は、ではどこにあるかというと、人の心の中にある。一人一人に委ねられているのが実態だ。好きな言葉ではないけれど、それが積もって「民度」「水準」みたいな尺度が可視化されるのだと思う。節度でどうにもならない問題は取り締まりなどによって「秩序」となる。とはいえ音楽サービスにはサブスク=有料でもない。無料にもいろんなカタチが出てきている。

たとえばスポティファイのように広告が挿入されるフリーモデルを選択することは可能だ。ぼくはどうしているか。ひとまずAmazon Music unlimited とスポティファイを両方有料で利用してみた。この一ヶ月間でどちらがいいか選択してみたい。あ、こういう二者択一はいいよね?