DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

291日(タイガーウッズ理論の応用をしている)

人は見えないところを「見ている」

会社に所属する人々のなかで同じ目線で話し合えるのが同期。先日ある同期とたまたま二人でごはんを食べていた。何気ない会話で一つ驚いたことがあった。たしかあれは怒る・怒らないの話の流れ。ぼくが「人の悪口を言わないこと」について、別の同期と話していて話題に出たと聞いた。そのときは「人に関心がない裏返しかもしれない」と流していたのだが、一瞬ゾッとした。

文脈としては褒めだったようなのだが、人が人を見るという観察において軽視してはならないなと肝に銘じた。基本は表に出ていることから「この人はこういう人だな」と判断すると思うのだが、表出されていないことも「人は見ている」のである。全員悪口を言う流れでぼくだけが「で、で、できません!」というような出来事があったわけではない。普段通りに過ごしていても、人は見ているのだなあと。

よく言われること。「人は自分が思っているほど、他人は自分のことなど無関心である」。だから●●なんて、たいして気にする必要なんてないという文脈ってあると思う。ここの「他人」が「知り合い」だと変わってくるのだろうか。ささいな一言、人との接し方、座り方、、電話の応対、姿勢。見ている人は見ているものだ。見た目として、こういう人っぽいとはまたちがう。イメージ印象ではないのだ。

もちろん悪口を言わない理由は、人にわざわざ言わないだけで、自分のなかでは持っている。一つは島田紳助さんが番組で言っていたタイガーウッズ理論。ウッズはどんなに競っている試合でも、相手のパターのときに「入れ!」と心の中で叫ぶ。相手の失敗を願うと、まわりまわってネガティブな気持ちが自分に返ってきていしまうと。相手の成功を喜びましょうという話。

これは成功以外でも当てはまるとぼくは考えている。悪口というかたちでネガティブな言葉を発すると、まわりまわって、マイナスの気持ちが自分に戻ってくる。それはもったいない。自分のごきげんをとるには悪口を言うのは非効率なのである。自分のためにも言わないと決めた。「𠮟る」はまた別のベクトルで、そこまで自分のためにセーブしているとよくないとは思う。ここでは悪口。

無意識もあるだろうが基本は考えがあって、それが日々の行動にあらわれる。逆にいえば、その行動から、どういうことを考えている人か、どういう人間かを人は見ているのである。