306日(インプットとアウトプットの関係について)
最大のインプットとは、アウトプットだ
何を言っているのかさっぱりわからないと思う。ということで、時系列に整理しながら記していきたい。最近、音楽理論を学びたいと思い始めて本を買った。ジャズミュージシャンの山下洋輔さんの本だ。知名度はもちろんこと、タモリが慕っているおもしろい人でもある。本の中身はコラム調に始まって「うん、読みやすい」とパラパラとページをめくっていくと、当然楽譜が出てくる。コードの話が出てくる。あらら。
このコードって言葉が出るたびに興味が出るのだけど、足下でずっとコードが水に浮かんでいるを眺めていただけだった。手ですくって「それ」が音楽におけるどういう存在なのかを知っておくべきだった。・・・コードといえば、である。
そういえば以前、知り合いを通じてウクレレを買っていた。入門書もセットで揃えていて、その知り合いから習う機会があったのだが、あいにく行けておらず、そのままだった。試しにと思って入門書を開くと、当たり前のようにコードの話があった。しかもシンプルだ。
ピアノとギターは弦楽器として同じである、とは新堀ギターの方が「世界一せまい授業」の対談の中で言っていたぞ。ここでコードを学んで、ついでにウクレレを弾けるようにしてしまうえばいい。チューニングのアプリのおかげですぐに始められて、意外にもスムーズにコードとメロディの関係などは最低限、理解ができた。
やはり頭に詰め込むよりも、実際に手を動かしながらの方が、結果としてインプットが深まる。音楽に関わらずだろうが、アウトプットとインプットは密接につながっていることをあらためて知らされた。
メタップス佐藤さんの著書を読んでいて、中央集権型の社会から分散型の社会に移り変わっている世の中の潮流を思う。以前は代理人(代理業)が力を持っていたが、プラットフォームがあって、個人と個人がフラットにつながっていく。そのなかで、一周まわってプレイヤーでありたいと感じ始めている。
ウクレレを始めるのもそうだ。インプットにもなるし、手を動かしてプレイヤーになることが、いまさらになって「おもしろい」と感じ始めている。アウトプットがインプットに有効であること、プレイヤー意識を持つこと。この感覚を大事にしたい。