DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

391日

「そもそも」を考えられるようになりたい。

物事の本質をとらえようするときの見方の一つ。「なぜ」という好奇心が芽生えたら、間引かずに向き合う。それから得られるものは自分の血肉となり、さらなる思考へとつないでいくことができる。自分なりの知の連鎖をつくってネットワーク化させる。松岡正剛的な発想だ。

たとえば松浦弥太郎さんが考えるようなことを、なぞるとして。上品なふるまいを考える。それを会得して自分のものにしたい。そういうときに、そもそも上品とはなにかを自分なりに考える。

たとえば心持ち・所作が洗練されていると仮に見出したとする。動きに関するのは所作。所作とは作法でもあり、法とは誰かが規定したものだ。つまり、いい所作とは、「こういうものだ」という決まりとして明文化されているのではないか。

それが積み重なって今があるとして、これまでの歴史で、どう決められていったか。「道」にヒントがあると考える。なるほど武士道があるぞ。武士道といえば山本常朝の「葉隠」。それしかぼくにはインプットがないけれど、たとえばそんなかんじで、自分なりに広げて深く掘っていく。

考えるクセはつけつつ、日本文化のインプットをしたい。文脈からとらえたいと思っていたなか、見つけた本が「日本人と日本文化」司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談本だ。口語調なのでスイスイと頭に入ってくる。儒教についてのおふたりの考えが異なるところは、意見が当然わかれていて、それもそれで対談の醍醐味としておもしろい。つまり、へんに気を遣い合った、なーなーの対談ではまったくないということ。

読み進めている途中。「あっ、おもしろい」の発見がいくつかある。たとえば日本のなかの、節目に起きている戦において、勝敗を分けた要素は「裏切り」が多いのだとか。たしかに原平もそうだし、ご存知関ヶ原の戦い。世界をみても、あまりないのだとか。これも意外なのだけど。原則、同胞の関係性のなかでの戦になると、根回しの要素が大事になってくる。その帰結として、裏切りが勝負のちゃぶ台をひっくり返すことになる。なるほど。

また日本にはいわゆる英雄と呼ばれる人物はあまりいないと。たしかにそうかもしれない。どの国にもだいたいひとりはいるのだそう。歴史における好きな日本の英雄と聞けば、十人十色。世界でも珍しいようだ。たとえば島原の乱の天草四郎はどうか。彼は美少年として、担ぎ上げられた存在で、実際に動いていたのは周りの参謀というのが定説らしい。ちょっとちがう。

歴史をふりかえって相対化するだけでも、こんな例はいくつもある。芸術家、奇人に国は甘い多応をしてきたとか、結婚などの「決まり」とされるものは室町時代にできたとかとか。そもそもを考えるクセを付け、それなりのインプットをしてみよう。