214日(自分のなかの空白を埋めていく)
あたりまえだけど、時間は有限だ。だから人は考える。無駄をなるべく排除したい。そのためには物事を合理的に考えなければいけない。
まず目的があるとして、アイデアを落とし込むのには順序がある。目的→戦略→戦術、この順番。森岡さんの本で整理ができた。
最後が戦術。戦術とは具体であり、アイデアだ。そのアイデアを考えるのにあたって、必要条件を列挙することでスコープをだんだん絞っていく。ここも大事。目的から戦術までをかんたんな例にすると。
たとえば奥さんとケンカしてしまったときを例として当てはめよう。目的は「仲直り」。戦略は「奥さんの好きなもので歓心する」。戦術は「仕事帰りにケーキを買っていく」。こんなかんじ。
だれかひとりであれば徹底的に向き合えばいい。これが仕事だと市場しかり、ターゲットが不特定多数となってくる。手元にデータがなければ、見繕わなければならない。
たとえば。ぼくはこの週末、佐賀のソウルアイスである、ブラックモンブランの工場見学へ行った。夜バーでお店の人と話していて、佐賀の若い方はみんな県外に行ってしまうとすこし嘆いていた。
調べてみると、人口移動調査なるデータがある。九州でみると、やはり佐賀と長崎は現在地が県外の割合がとくに高い。また余談として興味深かったのは、「現在地の地域ブロック別にみた出生地別の平均子ども数」。
九州出身で九州在住の方の平均子ども数は、地域ブロックのなかでも1位。さらに九州以外の出身でも現在地が九州の方の平均子ども数も相対的に高い。これは九州が子どもを育ててやすい環境にあるということなのか。
話を戻す。たとえばブラックモンブランの販促を考えるとして、ターゲットを仮に、九州出身で、現在地が九州以外(ブラックモンブランを食べたいのに食べられていないであろう層)とする。おそらく人口移動のデータから算出は可能だ。平均データに依拠すれば、世帯数も出てくるはず。そうやって数字が見えてくると、グッと対象がリアルになってくる。
ターゲット=市場サイズが定まれば、仮に購入をゴールとすると、こういう流れになる。市場サイズ→認知率→ディストリビューション(地域)→コンバージョン(購入)。認知率とコンバージョンを上げることも施策になる。
数学はキライではなかった。でもこれまで熱を持って取り組んできた思い出はそんなない。自分のなかに空白のスペースがあるイメージ。「あっここ空いてるな」という自覚が最近できてきた。
食わず嫌いを苦手というようなもので、未開拓なのだから、積極的に取り入れていきたい。伝えるうえで数字の説得力をまざまざと感じることがある今日この頃。
実践ありきのマーケティングをするうえで、自分の余白を数字・数学でムリなく埋めていこう。
215日(TSUTAYA図書館の発明)
CCCが運営する新しいかたちの図書館だ。代官山蔦屋や銀座蔦屋、中目黒蔦屋などの本屋+カフェの空間を見事に武雄市図書館でも体現していた。
たとえばスターバックスのある1F部分は、そのまま蔦屋書店のように新刊が蔦屋の書籍分類で並ぶ。要するに本を「買える」。
図書館としてのレンタル部分もありつつ、読書欲を刺激するわけだから新刊だって売っていいのだ。
この動きは完全に蔦屋が掌握している。一強状態。武雄市以外の地方自治体にも応用し始めている。ぼくは、発明だと思う。もっといえば他の書店、公の市や県にも十分にチャンスがあると感じた。
スタバでは九州パンケーキなど意味付けをして観光客が多く訪れるというが、武雄市、佐賀県の方でかなり賑わっている。大きな駐車場は満車の状態。家族連れもけっこういるのだ。
1Fのスペースをぐるっと回ってみると、若年層の方が多くいて、いい意味で街の活気をここで感じたのも正直な話。これまでの高齢層のための図書館というたてつけを、いい意味で裏切ってくれた。
そして図書館の機能として大事な、集中できる環境提供としての自習スペースも蔦屋プロデュースで充実している。
電源の環境だったり、自習の個別用机の上部にさり気なく、新刊貸し出しのビジネス本が並べられている演出があったり。
「なぜこれまでの公共としての図書館には武雄市図書館ができなかったのか」ということも考えないといけないと思う。
その一つは公共の場として、本を読むという機能にしか光が当たっていなかったからだと思う。いまの時代、どういう客層がどんな気持ちで本と接するかという行動デザインがないと本は売れなくなってきている。
蔦屋が民間企業としてこれまで培ってきたノウハウは、機能(do)ではなく世界観(be)をみせるということになるのだと思う。ひとことでいえば、本ではなくその上位概念としてのライフスタイルを提案している。
図書館+本屋という新しいカタチを佐賀でみた。おもしろい!
216日(歴史は現場がやはりいい)
いざ吉野ヶ里遺跡へ
こういう遺跡巡りはステキなガイドの方と当たると俄然おもしろくなる。佐賀を愛し、そして歴史を愛する熱いおじさまから、いろんな話を聞くことができた。
おじさまは、ぼくの思い込みを見事にときほぐして、ドラマチックに語ってくれた。歩く「そのとき歴史が動いた」みたいなかんじ。松平さんもびっくりだ。メモ。
・竪穴式住居は旧来のもので、高床式に時代と共に移り変わっていったのだと思っていた。教科書はそんなだのはず。
・実際は、寒さを凌ぐためにあえて竪穴式を採用していたという。佐賀の田舎では平安時代までそのスタイルを続けていたのだそう。
・敵を見張る櫓であったり、木造建築の技術はそもそものポテンシャルは高かった。何しろ木材で城をつくってしまう日本は、世界から驚かれる、木造大国なのである。
・平成元年、吉野ヶ里遺跡の柱が発掘されるまでは、卑弥呼そして邪馬台国は近畿説が濃厚だった。
・しかしこれらの存在は中国の魏志倭人伝にしか書かれていない。そしてその内容をしっかり読み解くと、吉野ヶ里遺跡で発見された柱や櫓の跡と合致する要素が多いことが見えてくる!さあ、九州説を唱える学者も出てきた。
・九州説が気に入らないのは近畿説を唱える方。なぜなら、古事記や日本書紀では神武天皇から一貫した天皇制が日本の歴史をつくったと考えられているからだ。
・事実、それらの書物には邪馬台国の名前は出てこない。もちろん魏志倭人伝も、勝者の歴史である。皇帝が命令してつくらせた書き物である。
・魏志倭人伝では、中国の自らの影響力を誇示するために、卑弥呼が遣いを送り、中国が邪馬台国へ金印を渡したことを「書きたかった」。ウソじゃん、という人もいた。
・吉野ヶ里遺跡の発見が「魏志倭人伝って、わりと本気のこと書いてあるじゃん?」。魏志倭人伝の内容そのものの信憑性を上げたことはまちがいない。
・そして同時に、九州説が濃厚になるほど、歴史的に日本は中国に仕えていた、つまり属国だったという、いまの領土問題に通ずる歴史の解釈にまで影響を及ぼすのだという。
ガイドの福田さん、吉野ヶ里遺跡の顔になってもらいたいなあ。歴史、おもしろい!
217日(話で人を引き込むということ)
立川談春が地上波のテレビドラマに出始めたころの話。
ドラマの共演者が自分の落語を観に来てくれることが増えてきたという。プロの役者を前に落語を演じることについて、かつて談春さんは雑誌のインタビューでこう答えた。
「こっちの作った世界に易やすとは入ってきてくれない、常にそこから一歩引いて、こいつこういうことするのか、落語ってこう表現するのか、ってところでみているから、生意気なんだけど、こっちから魔法をかけられない。すごく勉強になった。」
ここの「魔法をかけられない」という言葉にグッときたことを思い出した。魔法にかけるとは、かんたんに表現するならば、話をして相手を引き込むということ。
相手を引き込むこと。これは落語のみならず、身近に感じるテレビではバンバン行われているし、普段の仕事はもちろん、一般生活においても、話すことは、できて損はない。人生はプレゼンの連続でもあると思う。
「くりぃむナンチャラ」というバラエティ番組で今月、こんな企画があった。サッカーをあまり知らない女性客たちに興味を持ってもらうために、ウソのサッカー事件簿などエピソードを芸人が考えて披露していくというもの。
さすがテレビで売れている芸人。ホワイトボードとペンと巧みなトークで、観客をどんどん引き込んでいく。序盤はなるべく質問などして距離の間合いをとりながら進めていく。この企画のミソは、話がまったくのウソでできていること。
そしてもうひとり、この人にふれなければ。ウソのエピソードで相手を引き込むといえば漫談師の街裏ピンク。最近ぼくがもっともはまっているピン芸人だ。来週、単独ライブへ行く。
これまで実話をベースとした、すべらない話的メソッドが、ここ10年ちょっとで浸透してきている。そんななか、彼は完全のウソ、つまり作り話で漫談をする。そのクオリティが素晴らしい。
リアルで奇妙な話の展開、星新一や筒井康隆と並べて語りたがるファンも多い。で、話のつくりも一級品なのだけど、やっぱり話で相手を引き込む空気をつくるのがうまいのだと思う。
かつて上岡龍太郎は、笑いとは空気といったけど、相手を引き込むとは、これも同じく「空気」なのかもしれない。自分の話を相手が聞き入ってしまう、そんな空気をどうやってつくるか。
笑いを無理矢理、仕事やビジネスに紐付けて考えることは好きではないけれど、何か通ずることを感じずにはいられない。山本七平の「空気の研究」でもまた読もうかしら。
218日(自分のジグソーパズルを崩したい)
映画業界の知り合いと語り合った。映画のフリーペーパーを季刊誌として、1万部発行している紙メディア。こちらを統括している編集長だ。
彼と話をしていると毎回発見がある。学生時代、社会学に足を突っ込むと、時代と自分の距離を客観視して読み取りたくなるクセがあるなあとか。すこし年上だが同世代というのも大きい。
ひとつ膝を打ったことがある。彼曰く、地方で若年層向けの映画フリーペーパーがどのような需要があるのか、リアルなマーケティング調査が必要になる。
そこで彼はなるべく「経験」をするようにしているという。たとえば、わざわざ地方のネットカフェに泊まる。DJ、カフェバー、アングラな世界、エトセトラへ出入りする。これぞ編集者魂だ。学生時代は見取り図が空白だったのに、いつ間にか日々の業務に追われてしまっている。彼自身、危機感を抱いている。
まさにぼくもそうなんじゃないかと思ったのである。年々、生きやすくなってきている。それは環境が良くなったわけでも、自分がとくべつ環境に順応するようになったわけではない。
それはつまり、自分が思い描く見取り図が、埋まり始めているということなんだ。
自分のジグソーパズルがなんとなく完成しつつあって、欠けているピースだけを探す毎日。空白のキャンパスだったらガッツリ面積とれるようなピースがきても決してはまらない。
惰性の人生を送ってはいまいか。話していて感じたのだ。余白を増やせないのなら、埋めてきたジグソーパズルを一度、バラバラにしたい。
いま自分が一番興味があることは、いまもっとも興味を持てていない事柄なんだって。触媒を常にオープンにさせられるか。
流通革命と技術革新の影響を受けない産業が観光とするならば、そこから抽象化した「自分自身の非日常体験」に価値があることは言わずもがな。
経験主義で、自分のジグソーパズルをアップデートしようじゃないか。
219日(観光するときの、情報源をどこにするか)
そうだ、今週の金曜日から佐賀に行く。
佐賀のアイスメーカーである竹下製菓さんへおじゃまする。プロモーションのお手伝いをするなかで、自分ごとにすべく、協力メンバーたちといざ佐賀へ。
ぼくにとっては初めての佐賀。右も左もわからない。往復の航空券と宿はひとまずおさえた。スケジュールも見えてきたので、あとは他に巡る観光の場所をリサーチして決めるだけ。ローカルに観光として訪れるのは香川県以来。
その際は、「香川はおおらか」という岡本仁さんの本だけ抱えて、初の香川へ弾丸で観光した。結果として大満足だったのだけど、観光するときに「何を参考にするか」。このあたりの情報を収集が、年を重ねるごとに変わってきている気がしている。
途中なのだけど、自分が外部情報のどういうものにアンテナを張っているのか、整理がてら記しておきたい。
■岡本仁
街歩きといえばまずはこの方。最近は「みんなの鹿児島」を上梓した。九州はざんねんながらまだ鹿児島だけ。佐賀にも期待をしたい。
■D&DEPARTMENT PROJECT
ナガオカケンメイ氏が発行する観光ガイドとあわせて、シェアトラベルというメディアを運営している。ツアーのレポートがあり、タイミングが合えばそのツアープランを実際に追体験できるのがウリだ。佐賀の日本酒の情報はこちらから得た。
■コロカル 佐賀
マガジンハウスが運営するローカルをフューチャーしたウェブメディア。都道府県ごとに記事がまとめられているのがうれしい。佐賀もいくつかラインナップがあるなかで、コミュニティデザイナーの山崎亮さんと佐賀・諸富の家具職人さんの対談がおもしろかった。
■灯台もと暮らし
知り合いの鳥井さんが代表を務める会社が運営する、これからの暮らしを考えるメデイア「灯台もと暮らし」。最近、ローカルの情報で知りたいことがあれば、まずこちらで調べる。
佐賀で調べると、なんと最所あさみさんが複数のウェブメディアを束ねてそれぞれの切り口で合同取材をする企画を実施されていた。一度だけ知人の紹介でご一緒したことあるけれど、最所さんは佐賀県出身なんだ!
いくつかあった記事のなかでも最所さんが取材した、日本初のラグジュアリーブランドをつくる「アリタポーセリンラボ」のインタビューがとってもおもしろかった。伝統の有田焼を現代にどうアップデートするかという視点。ここは行ってみたいなあ。
■ほぼ日
さすが、ほぼ日。一時期、糸井さんとの対談記事を読みあさっていて、気になる著名人の名前をかたっぱし「ほぼ日 ◯◯」で検索していたことを思い出した。ついつい今でもやるのだけど、「佐賀」で検索するとおみやげおやつ大辞典が!ブラックモンブランもあった!
もちろん直接の口コミの情報が一番だ。その前提で、ウェブでは上記のような情報源に頼りつつも、ザ・観光の雑誌などは、あえて見ないようにしているかもしれない。こっから吟味していくのだけど、嬉野温泉も行きたいし、有田焼をはじめとした焼き物も巡りたい。どうやら移動がそこそこ大変そうなので、綿密に計画した方がよさそう。佐賀の初体験として、いい思い出にしよう。
220日(各ジャンルの教科書を持つこと)
ぼくが感じる本の楽しさといえば、未知の領域への興味の派生だ。本にはいくつも魅力があるが、次々へと連鎖する「派生」は欠かせない。
たとえば最近よく読んでいる森岡毅さんのマーケティング関連本から派生して、クラウゼヴィッツの「戦争論」に興味を持った。
「戦争論」まんがで読破シリーズ版をまず読んでいる。森岡さんが戦略を学ぶうえでこの本が一番参考になったという紹介があってはじめて関心を抱いた。
このご縁がなければ一生ふれることはなかったかもしれない。ここがおもしろい。
最近もう一つ、本の深みを増すエッセンスとして感じていること。それは、著者との相性。どんなジャンルにも、自分と相性の合う著者が存在する。
そして相性を確信したのなら、そのジャンルにおいて、該当著者に特化して読む。複数の関連本を出版しているのなら、徹底的に読み込む。別にすべて読まなくてもいい。「これ!」と思う本に全信頼を置いて、実践してみる。
たとえば星野リゾートの社長である星野佳路氏は、経営において教科書を大事にしている。教科書の理論は「経営の定石」として、一つ決めたら徹底的に実践する。つまみ食いはしない。1行ずつ理解し、分からない部分を残さず、何度でも読む。
仕事でなにか迷ってビジネス書を買い求める人は、気休めのように買って満足してしまう。読んだところで、実践せずに終えてしまう場合が多い。自分もそうだった。
しかし、相性の合う著者の本を何度でも読み、実践する方法というのも非常に合理的でおもしろいんじゃないかって思っている。星野さんの腰を据えた教科書的な読み方とトライはセットでしてみたい。
ぼくの場合、このジャンルならこの著者、という方たち、たとえばこんなようなかんじだ。
日本、文化においては松岡正剛氏。観光、インバウンドならデービッド・アトキンソン氏。マーケティングなら森岡毅氏。ライフスタイルなら松岡弥太郎氏。テレビ関連ならてれびのスキマ氏。筋トレならテストステロン氏。街案内なら岡本仁氏。
上記に挙げたのは、迷わずに関連本を買い漁った著者たち。ぼくにとって、相性が合うといえる。まあこちらから一方的に信頼しているのだけど。
いろんなジャンルにおいて、「教科書」を持つこと、やってみよう。