DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

293日(細く、長く生きることを選ぶか)

二日酔いの翌日に食事を控えたことをきっかけに、このところ「少食」による効果をいろいろ探ってきた。興味の対象はいつのまにか酵素にまで及んで、食べないメリットを拾い、実践する日々。1日1食が板についてくるかどうか。

詳しくはまだ理解していない前提だが、調べてみるとサーチュイン遺伝子というものにめぐり会った。どうやら人は、一生のうちに「消化」できる量が決まっているらしい。はて、どういうことか。たしかに聞くぞ。消化には大量のエネルギーを必要とする。食べる量の1/4くらいは、消化そのもののエネルギーに費やされる。フルマラソン1回分であるなどなど。

たくさん消化すれば、それだけ消耗する。食べなければ、それだけキープできる。食べないときに働いてくれる良い遺伝子が、先ほど挙げたサーチュイン遺伝子とのこと。この働きを活発にするためには、食べないこと。食べないことでエネルギー効率が上がり、結果として寿命が延びるというロジック。

ふと、思った。食べまくって字のごとく太く、短く、生きるか。それとも細く、長く、生きるか。ぼくは後者を選びたい。健康的に、おもしろく生きていきたい。そのために人生を逆算して、いまからとれる選択はなるべく「健康にいい方」であるべきと考えている。

だが、しかしである。たとえば健康的な生活を送って変わる価値観の一つが、1日の生活のなかで明日を想定した行動をとることが挙げられる。つまり、その夜がどんなに楽しくても、明日を充実するものにするために、お酒を飲み過ぎない、夜更かししすぎないようにキープする。

その一方で、「明日なんてこなくていいから、今夜に乾杯」なんてこともある。伊勢丹の藤巻さんが、バーのサロン・ド・シマジを訪れての言葉。島地勝彦さんのコラムのなかで書かれていたが、こういう日がない人生もさみしい。いまだからこそ、情熱に突き動かされるように活発的になりたいという気持ち。

いや、そこに火がつかないからこそ、「健康的」というおもしろがり方をしているのかもしれない。いずれにしても「細く、長く、おもしろく」生きていきたいところだ。