DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

298日(ある男の話がしたい)

今日はじめて出会った、ある一人の男の話をしたい。

男が高校を卒業してからの話である。男は芸人の道を志し、あるお笑い芸能事務所の養成所の門を叩いた。持ち前の明るさとコミュニケーションの力で講師から一定の評価を受けた。このままいけばプロの芸人になれる。男には芸人へのこだわりがあった。いや芸人魂という理想があった。「芸人たるもの」、借金してこそ一人前という、なんとも昭和気質な考え方。

お金は使えば当然、流れる水のごとく、金は出て行く。無くなれば借りるしかない。消費者金融から借金を重ね、気付けば数百万円まで膨らんだ。「返せない」。首が回らなくなった。やばい方にも金を借りている。いわゆるヤクザとの向き合いのなかで、男は「何でもします」と許しを請う。すると相手から、ある中国人の女の世話を3年するように命じられた。マジの話である。

男は3年間、ある中国人の女の家に住み込みで働くことになる。女は中国人の中でも富裕層。住み込みで働く者は自分以外にも2人いた。ともにアジア人。男性と女性。年は同じぐらいで20〜30代。いずれも借金が原因でここにきた、という。分担制なので、人手はあった方がいい。男は2人から引き継ぎを受けた。

人間らしい生活は送れるのか。スマートフォンは没収されるが、家が豪邸ということもあり、個室が与えられる。逃げぬように外出は禁止。Googleは使えないが、パソコンの使用は許可された。部屋には風呂もついている。働ければお金はたまる。精神的な安定はあった。

しかし、ごはんがおいしくない。白米がなぜかゴムの味がするのだ。そこがもっとも辛かったという。男の体重は元々100キロ近くあったが、みるみるうちに痩せていった。女もやさしくはない。最初は指示がわからず、怒鳴られることもあった。男は言葉を覚えようとはしなかった。表情と言葉とジェスチャーで相手がなにを求めているのかはわかるようになった。ちなみにいまでも話せないがヒアリングはできるという。

2年半が経った頃、女の指示で日本のある「島」でキャバクラの店長をするように勧められる。「ようやく日本に帰ることができる」。戻った男は店長を勤め、そこから半年が過ぎた。お金は十分にたまった。数百万円の借金は一気に返済ができる。そうして、借金生活から逃れ、店長も辞めた。

「おれは芸人になりたいんだ」。迂回の道ではあったが、男には中国に3年間、富裕層の女の世話をしたというエピソードができた。いいか悪いかなんて判断ができない。芸人を決意してから1年経過した「その男」と偶然、初めて会って、いま述べた話を聞いた。


かいつまんで記したが、掘れば掘るほど出てくるエピソード。直接会って話をした人間で、ここまでのスケール感は、そうない。明るさがあるから笑えるのだけど、まあ珍しい。人間の人生の多様性を感じずにはいられなかった。