DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

305日(あらゆる「必要性」がない世の中で)

人は本気で必要性と感じれば、やる

メタップス佐藤さんの著書を読んでいる。マクロな話でいえば、日本にイノベーションが起こらないのは、「必要性」がないからである。たとえばシンガポールは国土がせまく、物理的な制約を受けない分野で発展する「必要性」があった。だからシンガポールは金融大国となり、アジアの金融の中心にまでなった。という考えは、身近においてもそうだと思う。

普段の生活も大枠でみれば、だいたいこのことは満たされている。そして現状通り、通常運転がラクだ。そこで一歩足を外に踏み出し、物事を相対化する。外の世界を肌で感じ、自分ゴト化する。そうすることで自分の「必要性」が生まれる。

人は本当に必要と感じたのならアクションするものだ。「やった方がいい」のレベルではなかなかむずかしい。自分自身をどうだますか。もしくは「必要性」を意図的に機会としてつくりだす、つまり仕組み化するかである。

たとえばピアノを習得したいとする。一般的にピアノは弾けた方がいい。まだまだ動機は浅くて、ベターの程度。自分の希望としては、人に聞かせられるくらい。だとすれば、1ヶ月後にピアノの演奏会をやるとFacebookで告知をしてしまえばよい。極端な話。そうすればいやでもやる。それが「必要性」。だけど人はふつう、その天秤をリスクとして判断して、わざわざそういう負荷を選ぼうとしない。弾けるようになることはいいこと。

ライザップが三日坊主ビジネスといっていたが、必要性を醸成して、コミットさせるという領域は、マジで可能性があるし、満たされている日本ほど「必要性」があるのではないか。そう考えている。