DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

414日

語り合うことを考える。
昨日、同業を中心とした知り合い4名で集まった。目的はM-1グランプリ2017について語り合おう。気付けば3時間。話はM-1から展開、派生して大枠としてはテレビバラエティについてたっぷり語り合った。同世代というのも大きかった。有意義な時間だったなあ。

友だち。石川善樹さんは「友だちとの関係が寿命に影響する」という内容の本を出している。別で知ったのだが、イタリアで平均寿命の長い地域は、ご高齢者の方々同士でよく話をするらしい。小さいなコミュニティが機能しているのだろう。つまり、友人と語り合うことは、少なくとも適度であれば健康にいい効果をもたらしてくれる。まあ、そういう効果を置いておいても、語り合うことは単純に楽しいものである。

語り合いには、参加者とのいろんな関係性がある。ぼくのM-1語りは、オフ会と呼ばれるものにちかい認識。共通の趣味に共感したメンバーで集まり、普段ではそこまで踏み込めないところを、「みんなそれについて好きである」という安心感のもとに、好きな話を織り込んでいく。

昨日話していておもしろいなとふと感じたのは、テレビ以外たとえば私生活の話などいっさいしないところ。そして今回が2回目、毎回3時間ぐらい濃い話をし合っていると、人間性というか人となりがそれなりにわかってくるもの。たとえば、「幼少期こういうときに、こういうことを思って、このテレビを観ていた」とか、間接的に自分を語ることも、たしかにあるだろう。

前回おひとり紹介で初めましての方がいたけれど、2回目の気がしなかった。濃いコミュニケーションをとっているから。断言はできないけれど、出資、転職、就職は、こういう領域からの切り口で、マッチングをしていくのもいいのだろうなあと感じた。少なからず相互の関係に「審査」という意味が生まれると、フラットに語りをしてもらうことはむずかしいとは思うのだけど。

あと「そば好きに悪い人はいない」というように、判断する側が盲目になっている説もないとは言い切れない。(いやいや)。ここも、おもしろいところだと思う。結局、人の好みで決めている。M-1の判定基準と同じ?なんて。

いまは恵まれている、あらためて思う。普段の生活において人間関係がたとえ薄くとも、オンラインでつながることができる。人生をどう豊かにするかを考えている。「語り合える友人」は要素として大きいなとひしひし感じた。幼なじみで私生活をすべて知っている友だちも、いいと思う。ぼくは趣味に共鳴する友人でもうれしい。立場がちがくなっても、年が離れていても、目線は同じ。

所属するコミュニティが増えていく。前は学校、職場など固定されたコミュニティが中心だったけど、いまは多様化して、小さいいろんなものに所属しながら自己を規定していく、そんなお話がある。おそらく「Aについて語り合うグループ」「Bについて語り合うグループ」がもっと増えていく。

コミュニティについても考えなければなあ。以上、語り合いの多幸感のお話。