DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

210日(「人を笑わせるとは何か」まで考えた)

ここまで笑ったのは、いつぶりか。

漫談家街裏ぴんくの独演会が吉祥寺の武蔵野公会堂で行われた。そもそも街裏ぴんくとは何者かというと。ものすごいディテールがリアルで、完全に嘘のエピソードを繰り広げる漫談家鈴木おさむさんは星新一筒井康隆に例えていたが、強ち間違いじゃない。センスの塊。

経験主義ですべて実話のコラアゲンはいごうまんとは対極のベクトル。ちなみにぼくは両人ともに好きだ。その意味では徳川夢声が確立した、漫談というマイク一本ひとり喋りに大きな可能性をあらためて感じるのである。

まさに笑い疲れるとはこのことだった。パキッと2つに割れるアイスでおなじみパピコがつくった、虎ノ門からほど近くにあるパピコパークへ行ってきたという話。

後半にさしかった頃、ぼくは彼に異世界へ誘われ、笑いの「ゾーン」のようなものに入ってしまった。初めての経験だった。脳内麻薬というか、頭のなかで何かが起きていたのだけど言語化がまだできない。笑いの反応に自分の肉体がついていっていないイメージ。

ここで冷静に立ち返ると、人を笑い疲れさせることって、じつはものすごいことなんじゃないかと思う。自分の記憶を振り返ってもそうそうない。演者の視点からすれば1対nで何人もを笑いの「ゾーン」に入れるのだから、もはや恐ろしい。

もちろん上岡龍太郎の言うように笑いとは空気である。独演会で街裏ぴんくをみんなが観にきて、笑いにきている。たしかに観客の皆さんのおかげもあって非常によい雰囲気だった。

それでもだ。ひとりの芸人が、漫談という言葉の芸でここまで人を笑わせることに驚きを隠せない。いやあ脱帽。

立川談志がイリュージョンと呼んでいた領域がある。やりとりそのものに意味はないんだけど、脈絡のない会話が妙におかしく笑ってしまうようなあの感覚。そこを構造化した小説のようなSFのような異世界は、笑いとの親和性があるのだと思う。そこを開拓し、証明して見せているのが街裏ぴんく

「どうやって脚本(ほん)を書いているんだろう」と同業のプロが唸るネタがある。ぼくはただのファンだけど、多くの同業の芸人が、街裏ぴんくの笑いに嫉妬しているはずだ。

「人を笑わせるとは何か」という原点まで考えさせる街裏ぴんくを、ぼくは人生をかけて応援したいし、自分のこれまでのすべてのインプットをかけて、おもしろさを保証したい。陳腐になってしまうが、あえて言う。街裏ぴんく、オススメです!