217日(話で人を引き込むということ)
立川談春が地上波のテレビドラマに出始めたころの話。
ドラマの共演者が自分の落語を観に来てくれることが増えてきたという。プロの役者を前に落語を演じることについて、かつて談春さんは雑誌のインタビューでこう答えた。
「こっちの作った世界に易やすとは入ってきてくれない、常にそこから一歩引いて、こいつこういうことするのか、落語ってこう表現するのか、ってところでみているから、生意気なんだけど、こっちから魔法をかけられない。すごく勉強になった。」
ここの「魔法をかけられない」という言葉にグッときたことを思い出した。魔法にかけるとは、かんたんに表現するならば、話をして相手を引き込むということ。
相手を引き込むこと。これは落語のみならず、身近に感じるテレビではバンバン行われているし、普段の仕事はもちろん、一般生活においても、話すことは、できて損はない。人生はプレゼンの連続でもあると思う。
「くりぃむナンチャラ」というバラエティ番組で今月、こんな企画があった。サッカーをあまり知らない女性客たちに興味を持ってもらうために、ウソのサッカー事件簿などエピソードを芸人が考えて披露していくというもの。
さすがテレビで売れている芸人。ホワイトボードとペンと巧みなトークで、観客をどんどん引き込んでいく。序盤はなるべく質問などして距離の間合いをとりながら進めていく。この企画のミソは、話がまったくのウソでできていること。
そしてもうひとり、この人にふれなければ。ウソのエピソードで相手を引き込むといえば漫談師の街裏ピンク。最近ぼくがもっともはまっているピン芸人だ。来週、単独ライブへ行く。
これまで実話をベースとした、すべらない話的メソッドが、ここ10年ちょっとで浸透してきている。そんななか、彼は完全のウソ、つまり作り話で漫談をする。そのクオリティが素晴らしい。
リアルで奇妙な話の展開、星新一や筒井康隆と並べて語りたがるファンも多い。で、話のつくりも一級品なのだけど、やっぱり話で相手を引き込む空気をつくるのがうまいのだと思う。
かつて上岡龍太郎は、笑いとは空気といったけど、相手を引き込むとは、これも同じく「空気」なのかもしれない。自分の話を相手が聞き入ってしまう、そんな空気をどうやってつくるか。
笑いを無理矢理、仕事やビジネスに紐付けて考えることは好きではないけれど、何か通ずることを感じずにはいられない。山本七平の「空気の研究」でもまた読もうかしら。