DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

218日(自分のジグソーパズルを崩したい)

映画業界の知り合いと語り合った。映画のフリーペーパーを季刊誌として、1万部発行している紙メディア。こちらを統括している編集長だ。

彼と話をしていると毎回発見がある。学生時代、社会学に足を突っ込むと、時代と自分の距離を客観視して読み取りたくなるクセがあるなあとか。すこし年上だが同世代というのも大きい。

ひとつ膝を打ったことがある。彼曰く、地方で若年層向けの映画フリーペーパーがどのような需要があるのか、リアルなマーケティング調査が必要になる。

そこで彼はなるべく「経験」をするようにしているという。たとえば、わざわざ地方のネットカフェに泊まる。DJ、カフェバー、アングラな世界、エトセトラへ出入りする。これぞ編集者魂だ。学生時代は見取り図が空白だったのに、いつ間にか日々の業務に追われてしまっている。彼自身、危機感を抱いている。

まさにぼくもそうなんじゃないかと思ったのである。年々、生きやすくなってきている。それは環境が良くなったわけでも、自分がとくべつ環境に順応するようになったわけではない。

それはつまり、自分が思い描く見取り図が、埋まり始めているということなんだ。

自分のジグソーパズルがなんとなく完成しつつあって、欠けているピースだけを探す毎日。空白のキャンパスだったらガッツリ面積とれるようなピースがきても決してはまらない。

惰性の人生を送ってはいまいか。話していて感じたのだ。余白を増やせないのなら、埋めてきたジグソーパズルを一度、バラバラにしたい。

いま自分が一番興味があることは、いまもっとも興味を持てていない事柄なんだって。触媒を常にオープンにさせられるか。

流通革命と技術革新の影響を受けない産業が観光とするならば、そこから抽象化した「自分自身の非日常体験」に価値があることは言わずもがな。

経験主義で、自分のジグソーパズルをアップデートしようじゃないか。