DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

234日(「発表」を考える。)

思い起こせばパワーポイントを発表のツールとして使い始めたのは学生の頃。社会に出てからよく使うもので、最初が学生時代っていうのは気付いていないだけど、わりとあるのかもしれない。エクセルもそうか。

当時は発表に関して見よう見まねはおろか、見本とするものも大してなく、自己流でなんとかやっていた記憶がある。だいだいこういう場合にやりがちなことが、ツールを使うことが目的になるという、手段の目的化。あるあるだと思う。

ぼくの場合、振り返ってみて、2つ大きな間違いをしてしまっていたなあと。

一つが「キーワード先行」のつくり方であったこと。フォーマットが固定していれば要素に区切ってそれぞれまとまっていれば問題はない。たとえば仕事においても概要→意図→具体→メリット→課題→予算→スケジュールのようであれば、普段もやってる。

しかしフリーで発表となると、本来であれば第一義として、まず伝えたいことがあるはず。そこの要領を把握していないと、先にキーワードを並べていって、そこから発表原稿をしたためる順番になる。そうなると途中で発表する人も変わることもあり、内容の重複やリズムが崩れて、だいたい時間オーバーが関の山。

もしいまなら、フリーの発表だとして、まず伝えるべき原稿を先行して紙に落とし込むと思う。たとえば5分の尺であれば、1500字以内という目安がある。

http://u-note.me/note/47489958

要素をすべて入れ込み、そこからブロック分けして構成を組んでいく。そうするとパートが見えてくるので、そこで強調したい部分や主張すべき点をスライドへ落とし込む。

おそらくおさえるべき点は、スライドとはあくまで伝えることの補助の役割であるということ。1スライドに1キーワードというと、海外に寄せてるように思えるけれど、伝えたいことが主という意味では合っているなと。

細かいところではデザインをたし算の発想で、学生時代はとにかく盛り込んでいた記憶がある。海外の例を先述したように、削ぎ落としていって、引き算のように考えた方がいいといまは考えている。繰り返しになるが、スライドはあくまで伝えるストーリーのアシスト要素。

Amazonはパワーポイントによるプレゼンを禁止して、共通フォーマットの文書形式で企画書を書かせるようにしているらしい。資料による客観的な事実を忠実にみて判断するためだという。そういう考えもあると思う。

同時にいえることは、同じ内容でも伝える人によって、その企画の受け止め方も当然変わってくる。つきつめれば誰が言うか、誰がやるかにかかっているということ。ぼくはそこを肯定しようと考えている。発表は誰がやるか。