238日(映画について考えている)
ある会議をきっかけに、映画とSNSについて考えている。
いま「映画が好き」って宣言しにくくなっているようだ。一億総ツッコミ時代、たとえばSNSで映画好き!と発信すると、誰かに何かイチャモン付けられるのではないかって不安になってしまう。
特定の誰かはいないかもしれないけれど、ウェブ上の「不特定」のどんな方からマウントを取られるかわからない。ということ。たとえばスターウォーズが好きと表明して「ではエピソード何が好きなの?」という問いが、なんか試されている気がするような、そんなイメージ。
趣味は映画、読書って言いやすいのはあるけれど、人によって好きの度合いや分布というか、守備範囲というか、好きのグラデーションが異なってくる。価値観が多様化したいまだからこそ、映画のような娯楽の一大ジャンルは、すべての好きを肯定してあげてもいいのではないかなあ。個人としてはそう思う。
そもそも映画の位置付けは人それぞれ。ショッピングモールでデートするときの良質な時間つぶしの人もいるだろうし。休みの日のイベントであって、家族とのコミュニケーション体験の人もいるかもしれない。
映画とは文化であって、人生に関わるどんなテーマも、たいていある。生活に密接した、人生の追体験ができる良質なカルチャーだ!って送り手は誇りに思っていることが多い。
映画の位置付けがライトの人もいればコアの人もいる。その共存が一応成立しているいまを、どのようにとらえるかって、むずかしい。提案の方法も入り組んでいる印象だ。
角度を変えると、映画関連で年間で3万円以上、DVDに費やす人はヘビーユーザーに該当するらしい。本人にしてみれば、自分なんてライトの方だと思っていても、相対的に、客観的に数字で表せば、ヘビーユーザーの域に。調査に驚いているリアクションをしている方がいた。
タコツボ化と言っていいかわからないけれど、ウェブ空間は広いように見えて、能動的なアクションを起こさないかぎり、類似のユーザー同士しかつながらない。そのなかでマウントを取る人がいるのかな。
まだ答えは出ていないのだけど、「好き」と「知識」を切り離してあげるようなことができないかなってふと考えている。好きがはじめに前提としてあって、知識は結果の一つでしかなくて。知ることは、好きの熱や範囲を広げてくれるアクセント。
あときょう最後の問いは「ぼくは映画が好きなのか」ということ。