DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

249日(「おもしろい」を探そう)

安室奈美恵「それはちょっと、つまんないなー」
いつかの「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」での一場面である。松本人志は彼女の発言に対して、そういう意図の発言ではそもそもないと、ネタとして怒る。言われた松本さんからしたら実際、たまったものではないと思う。で、言った安室さんに対してどうこうというわけではない。なにも罪はない。関係性のあるふたりのやりとりによって、番組は盛り上がった。でもせっかくなので、もうちょっと深いところをついてみたい。

おそらくテレビバラエティの影響だと思うのだけど「つまらない」という感情を発露している方を時おり見かける。マキタスポーツさんはSNS全盛のいまを「一億総ツッコミ社会」と称してみせた。誰でも評論家のように、なにかの価値判断を下して、ツッコミを入れる。

自分には理解できない、場の雰囲気に合っていないような発言・ふるまいに対して「それはつまらない」とツッコむのだが、その力はおそろしい。テレビにおいて影響力のあるタレントが「いいね」と言えば「いいかんじになる」空気があるとして、「つまらない」は誰しも威力を発揮してしまう。影響力のない方でも「つまらない」という言葉の力によって、その場が本当に「つまらなく」なってしまう。

なぜなら笑いとは、空気であるから。この言葉は上岡龍太郎さんの名言。言い得て妙だ。つまり笑いのおもしろさとは、文字面としてのフレーズの力よりも、それを放った後の受け手と送り手の空気によって醸成される。そこに「つまらない」が入ると、プールに一滴の猛毒が混入するようなもので、もうそのなかではいっさい泳げなくなってしまう。それくらい、価値判断の「つまらない」には言霊が宿るんだ。

ぼくは「つまらない」を見出して発露する人生よりも、逆に「おもしろい」をたくさん見つける人生を送りたい。そう決めて、自分が感じた「おもしろい」は日々いろんな方とやりとりするなかで積極的に言い出すようにしている。

すごーい細かくてわかりにくい例だけど、たとえばで。空回りしたような振る舞いをする友人がいた。そこに対して、よくあるフレーズとして心配&ツッコミの意味を込めて「どうした!」があると思う。ユースケさんの「どうした!ツヨシ!」みたいな。そんななか、ぼくの知り合いはその彼に「どうして?」と言った。急に素に戻った空回りかけている彼をみておかしくなってしまった。「どうして?」という発言はぼくのなかでは「おもしろい!!」。

こんなかんたんなことでいい。毎日ちいさな幸せをなんちゃらとか、そんな映画のような話もあるけれど、ぼくは毎日生きるなかで、自分の感じる「おもしろい」をたくさん見つけて、たくさんほめたい。いっぱい感心したい。「おもしろい」とは自分でつかみとりにいく、能動的なアクションなんじゃないかなって思っている。

「おもしろい」を探そう