DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

259日(死生観をカジュアルに考えること)

オレンジブレイナリーの月イチの定例の後、いつものように飲み会があった。

そこでたまたま死生観の話題に。死生観といっても、志村けんがいう美味しい酒をずっと飲めるように健康に気を付けるようなカジュアルな話。死ぬまで運動をしていたい、ずっと走っていたいというメンバーの話をきっかけに、「ぽっくり死にたい」という流れになる。

「どう死ぬか」。どう生きるかを考えることはあるが、このあたりは思いを巡らせる機会がなかなか少ない。そもそも死に際には興味を持っているが、インプットができていないのが正直なところ。まだ読めていないけれど気になる作品がある。

たとえば荒俣宏は「知識人99人の死に方」という怪書を出している。また、岩井寛が死ぬまで松岡正剛に語り続けた終末までのダイアログ「生と死の境界線」 はいつか読まなければならない。

山形県にある山寺という観光名所。「元気に長生きし(ぴんぴん)、寝込まず楽に大往生(ころり)したい」という願いが叶うシンボルがあるようだ。その名も「ぴんころ車」。まったく知らなかった。

「ぴんころ車」は、大きな数珠のようなものをクルクルと回して参拝する。祈願すれば、ピンピンコロリと言うように健康体のままコロリと往生できるのだとか。調べてみると、近年は高齢化とピンコロ願望の広がりもあって、「ウチも『ボケなし観音』を置くことにした」という寺が続出しているらしい。「ピンコロブーム」到来の兆しがるというNewsコラムもあった。

昔の人はどのような価値観を持っていたのだろう。八王子にある龍泉寺では江戸時代から「ぽっくり信仰」が続いているらしい。宗教とは、死を考えることから始まるのではないか。江戸時代もいまも根本で考えていることは変わらない。先しか考えないで生きても仕方がないが、たまには終末を見つめてみてもいいかもしれない。