DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

278日(SUSONOのイベントに初参加して)

糸井重里さん×佐々木俊尚さんによる「働く」をテーマにしたトークセッション。
主催はSUSONO。「共創」を目指すオンラインコミュニティ。松浦弥太郎さん×佐々木俊尚さん×灯台もと暮らし×箱庭という座組み。素敵な面々。コミュニティ自体にも興味を持ったし(知り合いの方も何名かいらっしゃった)トークから学びも多かった。ぼくが考えているところにバチッと当たったところを、ここに記しておきたい。

決裁できる人と話が合う

一般社員だと企画を実現するための予算確保に必要以上の時間がかかりやすい。要するに「プレゼン」のコスト。糸井さんがイニシアチブを握る仕事をしていくと決めたきっかけでもある、広告業界にあった「落ちるため」のようなプレゼン。広告業界以外でも、そういった無駄はある。ではなぜ無駄が生まれるのか。

一つは仕事の価値観を時間単価ととらえている人が多い。つまらないことをやることが仕事の印のようなイメージ。要するに時間の切り売りの考え方だ。これが社員に浸透してしまうと、「つまらないことをするガマンの対価としての給料」になってしまう。そうすると「つまらないもの」が蔓延しやすい。

もう一つは、株式会社の四半期決算的な成長前提において、売上やそれに関連する数字などがないものだと、上司への説明がむずかしいということ。説明書に書けないところに、本質やおもしろい種がある。糸井さんが対企業として話が合うのは、そんな説明を一存で決めてしまうような決裁権のある方が多いという。いわゆる社長や会長。

決裁権がなくてもそういうマインドは持ち合わせることはできるし、自分はそうありたい。そして社長になりたい、出世したいと考える人は、いまの時代、そんなにいないのではないか。ただ同時に「自分の裁量権をいかに広げていくか」は、出世とは別のベクトルとして、あってもいいのではと感じた。

工業的な仕事観の脱却

仕事をつまらなくしている理由の話に通ずるが、「時間をかければ多くのモノがつくれる」という工業社会的な考えがまだ存在している。モノ余りのいまの時代には合わない。在庫を置いておく倉庫にリソースを割いても仕方がない。

時間を埋めることが仕事になっているから、人はどんどん忙しくなる。脱却できれば、プレゼン的な文脈でいうと、一つのアイデアに時間をかけることができる。二つ出しておいてアイデア同士を戦わせることができる。そもそも人は一日、3〜4時間が集中力の限界ではないか。

人の集中力は限られている

Daigoさんの著書をきっかけに、ぼくは集中したいとき、30分単位で区切る。そのブロックが6〜8個分。たしかに一日の集中力は休みを入れていてもパフォーマンス自体は、夜に向けてゆるやかに下がっていく実感がある。糸井さん、佐々木さん、おふたりも時間の限度に言及する。

お話のなかで、おもしろいなと思ったこと。一日の仕事を仮に8時間として、集中力を発揮する時間を確保するための、あそびの3〜4時間が必要という話。走るための準備体操というよりかは、集中力が限られているからそれ以外では別のインプットに勤しんだ方が、結果として生産的であるということ。ぼくはそうとらえた。

たしかにちょっとした雑談やリラックスするなかで生まれる何かももちろんあって。ほぼ日では、ちょっとした立ち話でミーティングができるよう、打ち合わせ部屋がたくさんあるという。

就業以外の時間のインプットの大切さは松浦弥太郎さんも著書でおっしゃっていた。もっというと「就業時間以外で給料が発生している意識を持ちましょう」ということ。その意味では、ワークライフバランスの話につながってくる。おふたりは否定的だったように、仕事とあそびを一体化していくことができたらいい。落合陽一さんのいうワークアズライフだ。

一体化して、仕事を遊びのようにできる人は局所的だとしても、ゴリゴリにやりたい。しかしながら働き方改革で時間の制約がある昨今。糸井さんが「のめりこむための権利は担保したい」と言っていて、そこはむずかしくも、いいテーマだと思う。エイベックスの松浦さんもそんなことをおっしゃっていたなあ。

何で儲けて、何で儲けないか

ほぼ日の「ドコノコ」は15万人が利用するアプリだ。マネタイズ前提で始めておらず、糸井さんは切り株に座ってその機をじっと待っている。社長としてポートフォリオ的な仕事の仕方をしているから、何で儲けて、何で儲けないかをメリハリを付けて判断ができる。判断機会があっても「できる」人は少ない。

世の中に空いた穴を埋める「何か」が素敵だったとしても、四半期決算型の会社だとなかなか実現はしにくい。「うちがやる意義はあるのか」。「売上になるのか」。「そこにリソースを割く余裕はない」もろもろ。ではボトムアップで「儲けない」ものを手がけるにはどうしたらいいか。会場から質問があった。

佐々木さんは、「会社員として、そこを突破することがいい経験になる」と。糸井さんは、単刀直入に、「あなたが社長をやりましょう。アイデア自体にはそれほど価値がなくてあとはやるか」というお話。

ぼく個人としては、「プロトタイプをつくるしかない」これにつきると考えている。「起業の科学」を読んでいてそう感じた。スタートアップ企業以外にも通ずる。場合によっては身銭を切る必要があるかもしれないが、それだけ熱意があるのなら実行できるはず。自戒を込めてなのだが、まずはプロトタイプ。これしかない。

「ふつうの人」であるために

ふつうの感覚を持てる理由は、「ふつうの人であり続けたいと思うから」。質問に対して糸井さんはこう言った。ふつうの人でいたいと思う気持ちは、人一倍、人からキラわれることがイヤなんじゃないかな。そう感じた。だから同性代の方たちや親も含めて「反面教師」とする対象が多くて、そういう基準をちゃんと持っている。

別の角度なのだけど「自分はふつうではない」ということをエクスキューズとしてこれまで使ってきた。会話をしていてそっちの方が楽だからという理由がある。だけど、話を聞いてすこし気が楽になった。ふつうじゃないことをしているけど、それはふつうを知っているからできる。「その前提でふつうじゃないことを逆ばりでやっていますよ」って可視化させていいんだ。糸井さんいわく、永ちゃんもふつうの人だという。

ふつうの自分が聞いていて、お二人のトークは非常におもしろかった。イベントもほぼ満席だっだと思う。そうだ、あと一つ。満員だと、群れている実感が自分を支えるような効果もあって、充足感が出るよう。西郷輝彦が社会経験として満員電車に乗った話をなぜか思い出した。西郷さんも、ふつうの人なのだろうか。