DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

279日(「21世紀の楕円幻想論」を読み始めた。)

「死にたくない」。
多くの人が心で思っている。いかにして健康寿命を伸ばせるか。健康にいいことを実践し、実感を得ていくこと自体がプラシーボ効果のように健康に寄与するかもしれない。ぼくはそんなことを思いながら生きている。タバコは吸わない、お酒はほどほど。志村けんさんが「酒を美味しく飲むために健康に気をつかっている」と言っていたがその考えも賛成だ。

夜更かしをなるべく減らす。いまを生きることに集中するのと、あわせて明日はいまの地続きであることを知る。起きた後スッキリした状態で眠りにつけるか。そして胃の消化可能量は決まっている説がある。量を減らす。太く短くか、細く長く。後者を選びたい。よっぴーさんの「没頭力」において、人は、年々おもしろがる生き方が上手になる。そうありたい。

そんななかで「21世紀の楕円幻想論」という本に出会った。読み始めて「生きる」についてさっそくおもしろいと思った箇所があったので、要約と考えを織り交ぜながら、まとめて記す。

「借りの哲学」によればバラモン教の教えとして、人間の義務を繰り返し説いている。その義務とは「死ななければならない」というものだ。そして、負債にもふれている。「人はいつか死ななければならない」という負債だ。解釈すれば、この世に負債を負って生まれてきたものが、負債をすべて返済して楽になる。

現代では実際に、生命保険というシステムが存在している。生命保険をかけた本人にとって、生きることが不可避的に負ってしまう負債の担保。つまり、生きていること自体が負債の担保だ。余命の短縮とともに、目減りするわけで、残り寿命が短くなればローンを短くなる。還暦すればローン自体もたしかに組めなくなるわけだ。

なるほどなあと。同書では借金について「遅延された等価交換」と表現している。ぼくは、いつか死ぬという負債(宿命)を負い、その返済を遅延させようとしているんだなって。生命保険がかけられるというのは、生きるという担保を、別の価値で表すことでもある。そういう意味では、生命保険を問わず、健康的に生きていること自体が価値なのだと思う。

そしてではみんなが自分のために利己的に生に執着して生きているのかというと、そうでもない。ぼくたちは本当に「自分のために生きているのか」。ここをいまから読む。実際このあたりは個の時代という、良くも悪くも海外の発想がいま日本に輸入されてきたいま、若者が直面するテーマでもあるなあと。つまり、「君たちはどう生きるか」の時代なのだ。生きると、生かされるを最近よく考えるなあ。