DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

282日(他人とは人を写す鏡である)

「カタチから入る」という言葉があるように、ランニングをはじめるときはまずウェアから買ったし、料理をはじめようとしたときは、エプロンをまずこしらえた。ファッションが記号的でありながら、人のふるまいに影響を与えることはわかっている。いや、それを利用して「役」に入るとも言うべきか。

能動的に意識して「役」のように取り入れているのものもあれば、無意識うちに「クセ」となって現れるものも多々ある。ぼくはつねに人の影響を受けまくり、それらを取り込んでこれまで生きてきた。ふりかえってみると、テレビが好きだったためか、画面の向こうの著名人から何かを得ようとしてきたのかもしれない。

たとえば話し方や接し方、態度のあり方のような領域では、とんねるずの木梨さんのようなふるまいを意識的にしようとするときがある。あのかるくてゆるくて、底の抜けの明るさ。いい意味でのテキトーさ。年下にはあえてツッコミをさせるスタンス。

まじめな雑談をしているとして、うなずき方はおそらく糸井重里さんから影響を受けている。あの、深くゆっくり、話し相手を100%想いながら話しているかんじだ。なにかを復唱して考える時間をつくるとき、たとえば「●●」と言われてすぐに「はあ〜●●なんだ」というのは、明石家さんまさんの復唱の仕方だ。(さんまさんの場合は、次の笑いの展開に向けてもっとも頭を回転させている時間のはず。)

当然、身近の方からの影響も受けているはずで、一緒に仕事をしている時間が長いと、そのクセみたいなものが徐々に現れてくる。こういうのは他人から言われて気付くからおもしろいと思う。

先述したものは意識してふるまいをしているけれども、無意識的に出ていてるものもけっこうあるはず。そう考えると、自分とは他人の写す鏡というのは、まさにである。社会学的に言えば、ミームの相互作用論とか、仏教で言えば「縁」の考え方にちかいのだろうか。

主に所作・ふるまいの話だったけれど、「人からの影響」という点では、その他にも思想や考え方の領域もたっぷりわけであって。そう考えてみると、「自分」なんてものはそもそもなく、他人からの寄せ集めで思考・行動ができあがっているともいえるのではないか。

創作におけるオリジナリティは、他人の影響なくしてありえないという考え方にぼくは賛成していて、「自分」もそうなのだと思う。まあその賛成も、松岡正剛からの影響であって、自分がないという考え方も、みうらじゅんからの影響なのだが。自分なんてない。ああ、こわい。