DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

285日(「没頭力」を読み始めて)

「人生ごきげんだといいよね」
誰も反論できない。自分の人生、ごきげんの状態がずっと続けばいい。ごきげん取りをしないといけないのは他人ではなく自分。自分次第でいくらでも幸せになれる。デイリーポータルZの林編集長の「ごきげん」の考え方にも影響を受けて、それなりに自身の心持ちをコントロールしようと努めてきた。

高橋晋平さんとの対談を読んでよっぴーさんの「没頭力」を購入。よっぴーさんは「ごきげん」の状態が人生の幸せであることに気づき、さらに深堀りをする。人の幸せとは、何であるか。予防医学的にいえば「ワクワクして目が覚めて、夜満ち足りて寝る」らしい。なるほど。少なからずそんな経験をしているが、ではそれが毎日かというと、ちがうかもしれない。

さらにポジティブ心理学という領域にもふれる。幸せを考えるにあたっての分類。一つは快楽、一つは意味(社会的な承認に近い)。そして、没頭である。快楽や意味は、飽きるし、一時的である。刹那。際限がないとも言うべきか。

さあ、没頭である。没頭とはフロー状態という言葉でも表現される。なにかにのめりこむときに時間を忘れる感覚。我を忘れる、つまり無我。無我夢中という言葉もある。ジャズでも用語があるし、わかりやすいところでいうとハイな状態。走りでいえばランナーズハイ。

「没頭はスキルである」という前提にしているところが、読んでいておもしろい。何かに夢中になる没頭スキルは自分のなかで育てることができる。年を重ねるごとにそれはうまくなる。年齢が上がれば上がるほど、没頭できるはずで、それだけ幸せになる。つまり「人生ごきげん」となるわけだ。

満たされている現代日本の中で、漠然と不安を抱えた若者に対して、非常にていねいに、そしてロジカルに「没頭」を打ち出すことで、彼らのなかにある絶対的な幸福感を育もうとする試み。そうとも読みとれる。かくいうぼくも、あらためて没頭に向き合おうと思う。

今年、個人としてプレイヤー意識を心がけようとしていて、考えてみれば没頭とも関係があるなあと。傍観者よりもプレイヤーの方が、夢中になる。そうして没頭→幸せへ。淀川長治さんは生涯2万本の映画を見たらしい。自分の人生を映画という没頭体験で埋めていく。なんて素敵なことだろう。どんな没頭で自らを埋めてみようか、ワクワクして考えていきたい。