296日(映画の終わり方)
映像作品における終わり方にはじめて注目しようと思った。
映画監督であり評論家である切通さんからおもしろい視点をいただいた。物語の終盤、ゲリラ撮影で群衆のなかで「役のまま」演者がアクトする。一般の方々はポカンである。「何、このへんな人」と。
昔はこの生の表情をゲリラで実行することでカメラに収めることができた。物語の虚構の世界が、現実と入り混じることでなんともいえない余韻がでる。いやむしろこの物語は永遠に続いていく、ような効果も与えるかもしれない。
ぼくがふと思い出したのは、昔の日テレドラマ「伝説の教師」。松本人志、中居正広のダブル主演による人気ドラマだった。大好きだった。ところどころ松本人志のアドリブによって、演者がつい笑ってしまうこともウリの一つだったと思う。極めつけは、まさに最終回。エンドロールの場面。
引きのカットで2人が歩いているのだが、松本人志演じるナンブが、なんと番宣の話をしはじめる。アドリブだ。中居正広演じるカザマは、カザマとして一貫しようとするも、笑ってしまう。ぼくはこの演出が妙に記憶に残っていて、その理由を探していた。おそらく、虚構の世界と現実が交差した感覚が新鮮だったのだろう。
感情移入とはちょっとちがう演出としての、作品の終わり方。アウトプットはちがえど、小説もそうだし漫画もそう。「どう終わるのか」。物語における終わり方に、あらためて着目したい。