DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

303日(テレビ好きに響く「テレビ論」)

いろんな芸人が語ってきた「テレビ論」と山藤章二

似顔絵や挿絵など「絵」の大御所である山藤章二先生。立川談志をはじめ芸能人との交流、「笑いの〜」シリーズの対談本も素晴らしい。そんな山藤先生の著書「似顔絵」の「テレビ時代の笑い」は目をみはる。これまでさまざまな芸人、著名人が語ってきたテレビ論を総じているかのような、見事なまとめだった。テレビ好きにはビシビシっ!と響く。かんたんに抜粋(中略を含む)し、ぼくの記憶のかぎりでどの芸人がそれに該当することを考えいたかを記していく。

・欽ちゃんなんかがその草分けだけど、テレビは「しろうと」を「くろうと」がうまくあつかったときに爆発的におもしろい。芸人のねりあげた芸よりも、とぼけた「しろうと」のほうがおもしろい、ということを認識させたメディアなんです。功罪ともに大きいテレビの力です。

⇒まさに上岡龍太郎のテレビ論と合致する。「テレビとは、素人が芸をするか、玄人が私生活をみせるか、この二つのどちらか」という言葉もあった。素人的なものの方が練り上げたものより「おもしろく」なる。ここについてはタモリも以前、言及していた。


・スタートはそういうちゃんとした伝統ある演芸分野から出ているのですが、結局、テレビというメディアに入った瞬間に、本業からはなれて「タレント」という職業に身を変えなければいけない。

⇒バナナマン設楽さんがかつて言っていた、お笑い芸人は2度売れないといけない、という話にかなりちかい。つまりこういうこと。現状は賞レースで優勝しないと「パスポート」がもらえないと。で、そのパスポートを持ってバラエティ番組に出演したとして、そこから本業とはなれた筋肉をつかった芸を求められるということ。


・テレビのなかのお笑いというのは、いままで体得してきた本業とはぜんぜんちがう能力を要求されます。

⇒上に通ずるが、スラッシュパイルの片山勝三さんも「お笑いだけがテレビを前にしたときに主戦場が変わってしまうこと」について以前おっしゃっていた。


・つねにしゃべっている人だけが映るという、まことに単純というか、なんか知恵のないメディアなんです。即物的なメディアといってもいい。ともあれ、質を問わずに間断なくしゃべっていなければ、テレビの勝者にはなれない。

⇒島田紳助さんがM-1の創設者の立場として「行列のできる法律相談所」でよくおっしゃっていたこと。M-1優勝コンビが毎回ゲストとして出演した際に、テレビではフリートークができないと売れないと。逆にいえば、フリートークができるのなら、ネタは底ついても、トークはなくならないと。だからいくらでも仕事ができるというお話。


・つまりテレビというのは、笑いを画一化させてしまうという問題もまた、はらんでいるわけです。何を笑うか、どう笑うか、笑いのツボは本来、非常に個性的なものですからね。

⇒ここは松岡正剛。幼少期から「何に笑ってきたか」が、その人の人格形成において重要であるという話があって。まさに笑いのツボとは、パーソナルであって、個性的なのだろう。


一部抜粋でまだまだあったはず。テレビ論では、小沢昭一氏の著書でもさらっとふれているものがあって、ふかく感心した記憶がある。ときどき目にするとアツくなってしまう。3月で「みなさんのおかげでした」「めちゃイケ」が終わる。フジテレビ論もそうだが、もうちょっとすると、テレビとは何だったのか。これからのテレビとは。なんてテーマの語りが増えてくるはずだ。