DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

323日(「人生をおもしろくする 本物の教養」を読み始めた。)

教養とかリベラルアーツという言葉に関心がある。たまにだけど、そんなワードでAmazonの検索をする。要は、そういった類いの本でよさそうなものがあれば、時折買って読んでいる。池上彰さんの本はいくらかは読んでいたので、つい先日、出口治明さんの「人生をおもしろくする 本物の教養」を読み始めた。

 

序盤で出口さんは、教養をこのように定義する。「教養とは、知識や情報ではなく、生き方である。つまり、人生を豊かにする、おもしろくするツールである」。なるほどと思った。そして同時にぼくはタモリさんを思い出した。

 

おぼろげな記憶だが、タモリさんは人生をおもしろがるために知識があった方がよいと言っていた。知識や情報、教養はあくまでツールであって手段。すべては「おもしろがるため」だと。タモリさんはこんな遊びをしていると聞いたことがある。

プライベートのタモリさんは、サングラスもしていないし、髪型もテレビに出ているときとはちがう。街中でもなかなか気付かれないようだ。そこでタモリさんはタクシーに乗ると、運転手から職業の話になると、アドリブでまったくでまかせの職業を言うのだとか。たとえば獣医だとか理容師だとか中小企業の社長だとか。さすがジャズ精神。で、タモリさんはそのアドリブに任せて職業を出すんだけど、アタマをフル回転させて、その人のように話せるから、ぜったいにバレないのだそうだ。

 

この遊びをやっていいかは置いておいて、一つぼくがそれを知ったとき、まさにツールとしての知識だなと感じた。仮にタクシーでの遊びがアウトプットとしてあれば、テレフォンショッキングなどはもちろんだし、普段街を歩いているときの景色、目にするポスター、出会う人、病院の待合室、カフェの隣の客、すべてが「おもしろい」んだと思う。

 

ちょっと極端かもしれないけれど、人生をおもしがる姿勢として、やっぱりどこかでタモリさんの影響を受けている。そうありたい、と思っている。出口さんの本を読み始めて、通ずるところがあるんじゃないかって感じている。教養は手段であって、目的ではない。