DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

353日(好きを時系列に置き、可視化させてわかったこと。)

好きを可視化させてわかったこと。

時系列に自分の今までの好きをビジュアライズしてMAPにしてみた。ようやく高校時代まで。記憶を頼りに並べている。きっと抜けがあるのだけど、パッといまアタマで取り出せるものがきっと、当時から強く「好き」であったにちがいない。

おそらくテキストではなくビジュアライズすることがミソで、ぼーっと眺めていると、なんとなく好きのグラデーションというか変遷が感覚的にわかってくる。整理するための編集意思が働くので主観が入るが、あえてその時代にネーミングしてみる。

幼少期:物語としての好き
絵本、戦隊モノ、マンガ、アニメ

とくに絵本では五味太郎さんにお世話になった。クリスマスの季節に読んだ本は具体名で覚えていて五味さんの「まどからのおくりもの」、そして海外の作者の「さむがりやのサンタクロース」。戦隊モノはジャンパーソン、カクレンジャーから入り、ドラゴンボールにはまってからは人形遊びもよくしていた。少年ジャンプに代表される努力、友情、勝利の要素は好物だったはず。

小学生:コミュニケーションツールとしての好き
テレビ、ゲーム、ギャグマンガ

小学校に入ってからは社会性が芽生え、そしてテレビ番組のおもしろさがわかり始める。学校の話題になることが多々あり、会話のツールとしてのテレビがそこにあった。「めちゃイケ」「笑う犬シリーズ」「学校へ行こう」「マジカル頭脳パワー」「伊東家の食卓」などなど。ギャグマンガでは「浦安鉄筋家族」「リーダー伝たけし」このあたりが注目されていて、マンガも読み込んでいた記憶がある。

中学生:秘密基地としての好き
テレビ、ラジオ

2003年以降、ネオバラエティ全盛時代であったことも影響する。深夜番組、深夜ラジオを観ている・聴いているわずかな人たちとこっそり話をするおもしろさ、快感があった。

とくにテレビ朝日「虎の門」「アメトーク」「内村プロデュース」「マシュー」「さまぁ〜ず×さまぁ〜ず」「ぷっすま」「オーラの泉」など。ラジオでは「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」は聴いていた。

またその頃、「すべらない話」が深夜から始まり、とんねるずの番組から「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」企画がスタートした。一生懸命、模倣してそれを会話の種にしていた記憶もあり、模倣としての好きも後期はあった。

高校生:語りとしての好き
テレビ、雑誌

やっぱりテレビかと。卒業式の前にクラスの黒板にこれから売れそうな芸人の名前を書き出したことを思い出す。当時から日経エンタを読み始め、タレント分布図をベースに、芸能人ごとに自分の知っているウンチクなど、どうでもいい一言を入れていく漫談みたいなこともしていた。

先生のモノマネ、業界用語をふざけて使う。フジテレビ、とくにとんねるずからの影響が大きい。画面からはみ出している臨場感が好きだった。この頃からテレビバラエティのお笑いタレントをプロレスに見立てて楽しんでいた節がある。


想像以上にテレビのことばかりで自分でも驚いている。もっとあるはず。だけど、アタマにパッと浮かぶのはこのあたり。あまりにも偏っていたので、大学ではこれまで好きだったところから派生させて、メディア、芸能、文化の領域を広げていこうとしていた。なんとなく、そんなおぼろげな記憶もある。大学時代へ移る。