DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

355日(「自分ならこうする」という基準を持てるか)

「自分ならこうする」を持てているか。常にそうありたい。

企画をカタチにして、人へ届け、世の中で広がりをつくること。目的は置いておいて、プロセスの視点からすれば、ざっくりこういう流れが仕事だ。いろいろな方との関わりのなかでアウトプットしていく。そうしたなかで、自分の芯を持って接していないと、いつの間にか自分の意思が蒸発したように消えていく。こうなってはならないぞ、と自戒を込めて。

まずチームの案件だと、合議制で動くことが多い。メンバーが複数いることで生まれるシナジーは当然あって、チームは大切だ。そのなかでベストを尽くす。企画の骨子が固まってきた。企画を通すために自分は何ができるかを考えて行動する。複数の企業から、ないしは複数の社内チームから一つの企画を選出するような場合は、なおさらだ。

「自分は縁の下の力持ちとしてチームを支えよう」。ここがむずかしい。実は支える側にまわることは楽なことだと考えている。つまり主語を自分として企画を成立させようとすると、ぶつかることもあれば、つまることもある。その衝突によって企画が一層磨きがかかるときもある。(そうとも限らないから難儀だ。)

しかし、支えるに徹しすぎると、それこそ壁にぶつかったときに「ここはゆずれない」という意思を誰も持てなくなってしまうのだ。企画書に込めた目的と意思だけでは解決できない事態になったとき、そもそもに立ち返らざるを得なくなる。自分ゴトとしての企画、チームとしての企画、これらをいったりきたりする必要があるのだと思う。

企画→アウトプットの流れでは、→に含まれるプロセスとして「企画を通す」「現実におとしこむ」これら大きく分けて2つあるのだが、どうしても前者に力が入りがちになる。(放送作家のような仕事であればそれでよい。)企画を実現をさせることとは、掲げた理想から妥協していく作業でもあるのだ。予算しかり、技術しかり、キャスティングしかり。だからこそ、おもしろいとも言える。

そして誰かが決めないといけない局面が出てくる。プロジェクトリーダーや上司がいるなど、役割が分担されていたとしても、自分の意思を持つことが不可欠だ。無理矢理、えいやで「こうすべき」を決めても意味がない。つまり、「自分ならこうする」を日々持っているかが重要なのだ。小山薫堂さんでいうところの「テコ入れ」の思想を、仕事において持っていけるか。

客観視して「こうした方がいい」を持つためには基準を持たなければならない。そのためにはインプットとアウトプットをバランス良く、有機的にリンクさせながら自分なりの基準に輪郭を付けていく。自分の基準と世の中の基準。基準は普通ともいう。そしてその「普通」を理解している人は、言い換えると「センスがいい」とも言う。まだ間に合う、がんばりましょう。