DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

360日(「古典を現代に」を考える)

「立川談志は歌舞伎コンプレックスがあったんです」

はっとした。古典芸能の世界に飛び込んだ知り合いとの雑談。立川流において真打昇進の試験に日本舞踊を取り入れるなど、古典芸能の素養を身に付ける必要性を強く持たれているイメージはあった。記憶ではあと、M-1グランプリでテツ&トモを褒めていたこと。音ネタとは、亜流ではなく、漫才の源流でもあることの再確認。

そもそも歌舞伎は生活者のために生まれた。身近な存在だった。「週刊記者 近松門左衛門」という本があるように、歌舞伎にはジャーナリズムがあり、そして今でいうワイドショーのような役割を担っていた。いうならば「歌舞伎とはテレビだった」のである。芸能のエッセンスは歌舞伎から始まり、広がっていったと考える。友人いわく、そこに談志はコンプレックスを感じていたと推察している。

ジャンルが確立され、時の流れを経ると、いわゆる「生活者」との距離が出てくる。いつの間にか高尚なイメージが付いてしまった。現在の日本ではそもそも高齢者の割合が高いというものの、歌舞伎座にいくと、やはり層は一定している。もちろん仕事に使えるという観点で「ビジネスマンへの歌舞伎案内」という本だったり、入門書の充実は感じてはいるが。

立川談志は「古典を現代に」というスローガンを掲げ、相当な時間を使って考え、実践をしてきた。松岡正剛氏は方法という観点で古典、日本をみた。つまり、芸能鑑賞会で形だけの芸能を体験させるような、古典をそのまま現代に提示しても、やっぱり合わない部分がある。どうすべきか。

木ノ下歌舞伎を昨日知った。驚いた。古典の歌舞伎のネタを現代版に再構成し、いまの人が楽しめる内容にした新しい歌舞伎の流れ。代表の木ノ下さんはそうしたことを考え、だったら劇団をつくった方が早いと気付く。木ノ下歌舞伎を旗揚げする。考えついたとしても実践してここまで続けられる方がどれほどいるか。すごい。3月には勧進帳がある。楽しみでならない。

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