DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

369日(今後、自分の進みたい道と死生観)

先ほど、いろんな刺激をもらったなか、昔をふと思い出した。

「自分がいずれ必ず死ぬ」という現実を知り、泣いていたこと。なぜ人は死という残酷な結果に対して向き合うことができるのか。死ぬことは怖くないのか。母親に聞いていた記憶がよみがえった。

「人生とは暇つぶしである」という人生観とあわせて「人はいつ死ぬかわからない」という死に対する、ある種の諦観を持っているのかもしれない。死生観といっていいのだろうか。幼少期に感じた恐怖は、やがて諦めと肯定となり「どうせ死ぬんだったら、おもしろく生きよう」という考えになっていく。

その意味でぼくは生き急いでいるのかもしれない。「良寛のような余生を過ごしたい」そんな気持ちは、この死生観の影響なのか。いつ死ぬかわからないからこそ、余生を過ごす方たちの楽しみ方をはやく体感したい。というか、いまがもう「余生」なのだ。そう考えている。

あまのじゃくな性格。たとえば大学時代に原宿の太田美術館で浮世絵を見る。同世代が周りにいない環境に対して悦に浸っていた。若者の遊び方に対してのアンチテーゼを体現していたつもりだったけど、心のどこかには、「学生なりの余生」を噛み締めていたところもたしかにあった。

そうした体験を通じて日本文化のおもしろさを知っていく。知る人しか楽しめない構造に対する、ある種の安堵と嘆きを感じる日々。そうしたなかで松岡正剛に出会う。いまは日本の文化の方法やコードの存在を知る。ニュアンスは理解したけど、どうやってアウトプット、アプローチをしていくかを模索している。

ぼくは生き急いでいる。言い換えると、早く年を取りたいのかもしれない。いつ死ぬわからないからこそ、いまをかみしめておもしろがろう。この一瞬を大事にしたい。没頭したい。濃い時間を過ごしたい。その意味では、時間は進んでほしくない。でも、早く70代くらいになりたいという矛盾を抱えている。デュアル・スタンダードということにして、肯定してみよう。