DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

370日(古書店をどうして好きになったのだろう)

いつの間にか古書店が好きになっていた。学生時代、背伸びして神保町の古書店街をまわってみたものの、さっぱりだった。それがいまや、1日まるまる過ごせる。間の時間も楽しい。そういえばカフェのキッサコで食べたチーズケーキは至高だった。カレー屋も巡らねば。

なぜいま好きか。1日かけてまわれるし、古書店があれば気になって覗いてしまう。いくつか要素がある。まずいきなり、少数派かもしれないという前置き。ぼくは特定の本を探している。恋いこがれている。「奇跡的にこのお店に置いてないかなあ」とつい探してしまう。好きだった人を想う気持ちに近いのだろうか。

どんな本か。たとえばタモリ・松岡正剛の対談本「愛の傾向と対策(言葉・インターーフェース)」。矢内原伊作「ジャコメッティ」。いくつかある。過去に出た本たち。いまや高値が付いている。がんばれば購入できるのだけど、いわゆる「ほしい物リスト」に入っている。

古書好きでAmazonを普段利用する方は、当時の定価以上の値がついた古書がきっと「ほしい物リスト」に入っている。逆にいえばリストにそういう本が入っていけば、古書巡りはそれなりに楽しいはず。

お店によってもコンセプトや「ここ!」という強いジャンルなどがある。店主の方の選書なのだ。愛やセンスが溢れている。個人の好きがこうやって形になるものは素敵だ。たとえば中目黒の松浦弥太郎さんの本屋COW BOOKS。あるコーナーがぼくのど真ん中の領域だった。

ざっと著者をみて「色川武大、山口瞳、植草甚一、大橋巨泉、和田誠etc.」。ワクワクする。たとえばこの並びから高平哲郎やタモリが浮かび上がってくる。タモリさんはいろいろな本を出しているので掘り出しものだないかなあなんて。

あと共感としての購入もある。上にもある植草甚一。20代ではなかなか知る方は少ないかもしれない。半年ほど前に行った下北沢の古本市では、お店の方と会話して「さすが、わかってる!」という共感で植草甚一の男子専科を思わず買ってしまった。

狭い領域という認識がお店とお客さんになると、ある種の共犯関係が生まれるのかもしれない。奥深いところもありそう。興味がないとただの古本屋さんでしかない。それが人生かけて探している本があるとして、もし見つけたときは宝物を見つけたような喜びになる。ウェブにもいっさい買えない古書なんて実はごまんとある。気持はわかる。

気持がわかるようになった。選書の打ち出しのある本屋そのものも好きになっている。たとえば下北沢のB&B。ときどき、伺う。いくたびに好みの著書が増えていると思う。たぶん、お店は変わっていなくて、自分のストライクゾーンが広くなっているのだ。そんあことも感じられる本屋っておもしろい。こういうのも、本屋体験だ。