DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

371日(100年後の世界を想像してみろと、めちゃブリをもし受けたら)

自分取材の続き。

取材を受ける人は、その場でいきなり突拍子もないことを聞かれることがある。そんなときもアタマをフル回転させて答えるのだと。ぼくは以前、ほぼ日の塾で糸井重里さんとご一緒した。長い質疑応答タイムのなかで感じたのは「一度それについて考えたかどうか」の大きさ。

考えてアウトプットしているから、たいていは「それはね〜」とスラスラ出てくる。だからこそ場合によっては「それは人生で始めて聞かれた質問かもしれない〜」と始めることもできるのである。

考えてみるをひとまずのアウトプットとして、ここで自分にめちゃブリをしてみたい。

「100年後の世界を想像してみてください」

変化は当然ある。だけどどうなっているかはわからないが正解だけど、自分のいまの興味を起点に自由気ままに答えてみる。人間の生き方そのものが変わる。まず肉体の個として生きるか、精神で生きるかを選択するようになっている。おそらく肉体を持って生きられるのは貴重になる。肉体があったとしても、脳の視覚部分に機械か信号なのか直接インプットする何かがある。

拡張現実がベースとなる世界。世界がどう見えるか、自分がどのように鏡に写るのか。スマホでSNOWなどのフィルターをかけたような世界がデフォルトになる。モードを選べるのかもしれない。

現実世界は軽視される。それぞれの肉体が見えている世界が絶対になる。ベーシックインカムで肉体を維持する最低限の生活でもかまわない。たとえば配給された食事でも味覚をコントロールすることで、現在われわれの「おいしい」の次元を超えた体験ができる。相対的な人間の心と、脳へのインプットしたことによる刺激とのせめぎ合い。無農薬オーガニックのように、刺激をいっさい与えない人々がマイノリティになる。

精神で生きる場合、意識は永遠になる。自分でシャットダウンすればリセット可能。死はコントロールできるようになり、そもそも生と死の概念が変わる。「人は人から生まれてくる」という大前提が根底から覆される問題に、人間は直面していく。意識から別の個としての新しい意識が生まれるようになる。

マンガのような人生を送ることができる。マリオメーカーのように誰かが設定した人生を、ゲームのようにプレイして生きる。送りたい人生を選び、セッティングすると、時間が流れ始める。周りのつくられた世界のなかでプログラムにそって他人もそれぞれ同じ時間を生きる。

自分の見た目も設定通りに動く。脳には自分の認識・意識の信号が、設定の通りに送られる。他人にも、設定した通りのイメージが伝わるようにできる。ただ他人の目にどんな世界が写っているのかは、いまと同じで、知り得ない。

はじめはゲームのようにときおり客観視しながら生きるも、だんだん溶け込んで、自分が設定したゲームを生きていることの意識が薄れてくる。そもそも忘れる。肉体を持ったひとりの人間として、ただ現実世界を生きるだけ。これが100年後。もしかしたら現在生きる世界も、誰かが設定した人生を、自ら選んで生きている人生なのかもしれない。


むずかしい。ちょっとしたSFとイギリスのドラマ「ブラックミラー」、高城剛さんの本などの影響に引っ張られている。個と意識について関心があるんだなあ。結局は自分の引き出ししか答えの素材になり得ない。考えないと引き出しが錆びて、素材をとりだせない。ちょくちょく、めちゃブリ、やってみよう。