DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

378日(なぜ音楽だけ繰り返し楽しめるか)

「めちゃイケSP」をきっかけにKylie Minogue - I Should Be So Luckyにハマった。ずっと繰り返しリピート。その前にハマったのは渡辺美里 - My Revolution。音楽は繰り返し聴ける要素がある。そういえばイチロー選手はリズムを保つ目的が強いと思うが、「同じ曲をずーっとループ再生して聴いている」と聞いたことがある。

「飽きさせない曲とはなにか」ということに興味があるが、そもそも娯楽として「なぜ音楽は繰り返し楽しむことができるか」を考えたい。たとえば映画ドラマ、マンガは「見返す」ことはあっても「繰り返し」はなかなかないのではないか。もちろん宇田丸さんのムービーウォッチメンのように、理解を深めるために(単純に好きもある)2〜3回繰り返し観るような劇場体験もあると思うけれど少数派のはず。

単純比較すれば、消費する時間コストが大きそうだ。まあ疲れますな。あとは「ストーリー」がのっかっていることで、繰り返しはさすがに新鮮さを欠くのだろうか。

ではお笑いはどうか。時間の問題はクリアしそうだ。でも、むずかしいし、深堀しがいがある領域。ウエストランドはあるネタでこんな嘆きをしていた。「歌手はずるい!同じ曲ばっか歌いやがって!ぼくたちが一つのネタを2回かければ「あっ同じネタだ」と言われてしまう。なんでだよ。ぼくたちのネタもカラオケに入れてくれよ!」と。

笑いに関してもストーリーの要素はあるはず。そのなかに仕掛けられた裏切り、ギャップ、いわゆる緊張と緩和の理論でいえば、落差がどうしてもならされていく。ただ興味深いのがリズムネタ。2700はネタのことを自ら「曲」という。松本人志さんは8.6秒バズーカの感想を聞かれ「ネタというより曲だから…」ということだった。音楽に寄せれば、繰り返しの力を手に入れるのか。

これまで音楽は繰り返し聴ける、つまり「飽きない」力があるということなのだが、皮肉にもリズムネタで一世風靡した方ほど、世間から「飽きた」と言われてしまう。でも、リズムネタのそのわかりやすさと親しみやすさが老若男女に受け入れられると、一気に浸透する。逆にいえば世の中に一気に消費されることで、「飽きた」の反動も大きい一面もある。

「飽きた」を超越するのが「大いなるマンネリ」。笑いのその先の安心というか、語りが歌になるというか。繰り返し聴いていられるお笑い。考えるとやはり落語か。松尾貴史さんは落語をiPodにずっしり入れているそうだ。日本の芸能全般にいえるかもしれないけれど、曲との親和性が高い。M-1グランプリ2001で立川談志がテツ&トモを褒めたのは「芸能」という文脈からきている。

そのネタは「iPodに入れて聴けるかどうか」この視点はなかなかおもしろい気がしている。武勇伝は入れないけれど、パーフェクトヒューマンをiPodやスマートフォンで繰り返し聴いている方はきっといるはずなのだ。もうちょっと音楽といろんな分野との関係性を考えてみたい。