DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

379日(運を考える)

運について考えてみたい。

欽ちゃんこと萩本欽一さんは運にまつまわる独自の考えを持っていて、著書も出されている。「人の運の総量は、決まっている」。これが欽ちゃんのスタンスだ。こういう考えをする日本人は多いのではないか。ちょうど昨日、番組の新年会があった。素敵な時間を過ごすなか、ある方がこう話す。「幸せすぎて今日で1年分の運をここで使ってしまった」。冗談まじりにおっしゃっていて、ふと運について思ったのである。

「勝って兜の緒を締めよ」という言葉があるように、いいことがあったときこそ、自分を戒める。負(ふ)を意識する。「負がやってきたとき、思い返せば実はそれまで、いいことが連続していた。そのときになって気付けるものだ」と松浦弥太郎さんは言う。たしかに、そうだと思う。

では、いいことがあるときネガティブになればいいのか。ぼくはちがうと考えている。「いいこと」を「いいこと」として、かみしめる。実感することがもっとも大切なのではないか。人の心というものは、わかりやすく、そしてフクザツだ。いいことが続くと、それが基準となり、あたりまえと感じてしまう。いや、「感じる」ことをしなくなってしまう。

昔から日本は、いいことへの実感を「有り難き」つまり「ありがたい」として、感謝するようになった。つまり、感謝とは「有り難きことと感じる」ことからはじまるのである。実感を得るための作法・教育として、運を意識するようになったのではないか。儒学、朱子学などの名残なのか、東洋思想なのか気になるところ。

運とは、たぐり寄せるものであり、マネジメントするもの。これが、ぼくのスタンスだ。デイリーポータルZの林さんは、常に自分を「ごきげん」にするようコントロールしている。「自分のごきげんとり」をして、日々の小さい出来事を肌で感じ、感情を意識する。有り難きことに感謝をすることが、運と付き合う第一歩。そう感じている。