385日
美意識について考えてみる。
どんな言葉でいいかえできるか。美学だとちょっと歯が浮きそう。平たくいえば、自分が大切にしている価値観だろうか。自分の核、コアだと一つに集約しているイメージが強すぎるかもしれない。
その自分が大切にしたい価値観とは、どのように形成され、育まれているのか。向き合ってみてわかったことは、ぼくは反面教師の体験から美意識がつくられている。どういうことか。「こういうふうにしたくないな」と心から感じたことは、意識的に自分ではしないようになる。つまり、「しないと決めたこと」の積み重ねが自分の美意識をつくっているといえるのではないか。こう考えた。
逆に「こうありたい」と思った積み重ねで美意識ができるようなこともあるのだと思う。たとえば挨拶はされる前に自分からするなどなど。ぼく個人としては、〜した方がよくて行動することは、いい習慣であって、ちょっと美意識からニュアンスとしては離れる。個人差があるかもしれない。
「反面教師の体験を自分ではしない」というそのものを美意識とする前提で、「しないと決めたこと」をせっかくなので可視化してリストにしてみようと思う。日々の生活から振り返ってみると、けっこうあるものだ。
- 睡眠・食生活をないがしろにしない
- 決めた服以外は買わない、衝動買いの浪費をしない
- 交通機関を利用する際あせらない
- 愚痴、悪口を言わない
- 利益のために嘘をつかない
- 仲間を裏切らない
- 人が不快になりそうな話題、アイデンティティに踏み込む話題を出さない
- 一気飲みをしない
- 人に飲むことを強要しない
- 仕事において「とりあえず飲みにいこう」をしない
- 朝までいるような遊びをしない
- やりとりが初めての場合はどんな方でもタメ口を使わない
- 他社の方がいる前でも、誰に対しても呼び捨てをしない
- 会話において自分のフリには、返しがどうなっても責任を持つ
- 色恋沙汰に巻込まれるようなことをしない
たぶん、まだまだある。「こうありたくない」という逆わがままというか、反面教師が美意識をつくる。反面教師とは、他人だけでなく、過去の自分の反省から出てくることもある。もっといえば1年後にはリストの中身が変わっているかもしれない。まだ美意識そのものが角張っていて、やすりで磨いていきたいなと思う。一ついえるのは、「こうしたくない」を明文化することは、自分を知る上で有効な手段だ。
清水ミチコさんの座右の銘は「隣人は芸の肥やし」。誰からでも学べることはある。他者をみて、自分の過去のふるまいが良くなかったなあ、なんてね。世間に生かされている自覚をもって。