DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

390日

コード考える。
自分の言動をどうコントロールしていくか。外的環境、いわゆるTPOをわきまえるのは大前提。その上で、プライベートの過ごし方において、放送コードならぬ、「自分コード」を持つ大切さを感じている。

たとえばふりかってハメをはずしていまった、やりすぎてしまったという失敗は、だいだいお酒の席だろう。もちろん飲みの場というTPOに寄せるべき。しかし身を委ねすぎると、自分を律しているタガがはずれておかしいことになってしまう。

そこで自分のコードを持っておこうということ。自分コードとは、放送のそれと同じで「これ以上はやらないこと」、自主規制をかけること。つまり、言動として「やらないこと」を明らかにして自覚しておくということだ。

たとえばぼくの場合、お酒の席を想定すると、いくつかある。・人の悪口、愚痴を言わない・一気飲みはしない・無理矢理のませない・思想、アイデンティティに関わるような話をしない・下ネタ、恋愛の話は自分からは口にしない こんな程度。

その「しないこと」が場の空気を著しく壊してしまうことが自分でもわかる場合は、成立させるために努力はする。だけど、基本はまあしない。人によっては、それができないから困っている方もいるかもしれない。そういう人になる覚悟をすることから始める他にない。

極端な話、一気のみしかしない飲み会で、強要されて断ったとする。すると次回からは普通は呼ばれなくなる。飲みの場も、合う・合わないがある。「合わない」ものは極力いかなければいい。ただし、合わない飲み会が仕事に直結している業界は、なかなか舵を切るのがむずかしい。飲みの作法をぶちこわして、仕事の別領域でやりきるしかない。

コードを持つようにしたが、お酒の席専用でこしらえることはなくて。言葉にかぎっていえば、その発言は会社内でいえるかどうか。普段通りで自分コードを敷いてしまうのがわかりやすい。もちろんお酒の場でアルコールが入るからこそ話せることや、楽しくなることはある。ただ、コードは持っておく。

そういえばTwitterの作法を考えるにあたってどなたかがこんなことを言っていた。「そのつぶやきは駅のホームで大声で叫べるか」。Twitterでの自分のつぶやきは、公共空間にさらされているのと同じだということ。自分コードはTwitterにももちろん応用する。

陳腐化された表現かもしれないが、規制のためではなく、その場をスマートに、より楽しくするために自分のコードを持つこと。がんじがらめにならぬよう、適度に律して。