DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

402日

会社に所属していると社内/社外という境界線をいやでも意識する。今後、その線引きがもうすこし曖昧になるとは思うが、概念としてはずっとあり続けるだろう。言葉にするとイメージしやすい。たとえば社内飲み。社外飲み。飲み会をするとして、社内の方と飲むか。社外の方と飲むか。

ここを今日は考えたい。ぼくは所属してまもない時期ほど、社外飲みをすすめたい。ずばり「社外飲みのススメ」。

できれば単独行動、その会社の方は自分ひとりがいい。はじめも相手は同性代で、それぞれの会社、仕事どうです?ってお話からでいい。ひとりで参加すると会社の看板を背負っている感覚が出てくる。自分ひとりである以上、その会社を説明できる人は他にいないわけである。社外とはいえ、目上の方に説明しないといけない場も出てくる。たかが飲みの場、されど飲みの場。同業他社との関わりだと、ぐっと鍛えられる。

もっとも社外飲みを新人の時期にしておくメリットは、自分や会社を相対化できること。他社よりも忙しいのか、比べて仕事内容はどうなのか。おもしろそうなのか。もちろんその場をとりつくろって話す方もいるだろう。だいだい聴いていてわかるようになるし、それも含めて勉強になる。そういう自分はどう話していたか。客観視できる。

ぼくは2〜3年目の頃はほとんど社外の方とよるごはんを一緒にとるようにしていた。いま考えるとよくやっていたものだ。他社とのつながりが自分の仕事に活きると割り切っていた。同業他社と関わるというメリットを見出して、結果として社外のみをそれなりにしていた。

どうやら社内でしかコミュニケーションや飲み会をしない方も少なくないようだ。一概になんともいえない。というのも、当時自分は先輩に付くかもしくはひとりで社外と向き合った仕事をしていた。つまり、社内でのコミュニケーションがそこまで必要としていなかったということもある。チーム制で社内でのやり取りが多くなると、意識が社内しか向かなくなる。そんな側面もあるだろう。

しかし、仕事おわりの飲み会も毎回社内で下手したら同じメンバーはいかがなものか。あくまで個人としては理解できない。「こいつは社外に目を向けている」という印象が自分には一部に付いてしまっているが、幸いそれ以上でも以下でもない。

社内向きの方で言葉遣いに驚くことがある。かんたんにいえば距離がちかい。これも一概にはなんともいえない。ぼくは社内ほど、その距離を保とうと意識する。

ふりかえって考えてみると「嫌われる勇気」に感化されているなあ。上も下もない。みんな人として対等だ。だからぼくは、ていねいに接してくる方にはていねいで返し、フランクに接してくる方にはフランクで返す。結果、新人の方になるほど「です・ます調」を意識して使う。それでいいと考えている。たぶんぼくは少数派。

ドライとも言われる。たしかにそうかもしれないのだけど、自分が思っている以上に「上下」って機能してしまうと思う。それを利用する方もいる。話がきなくさくなったきたから戻す。そんな状態が「フツー」ではないぞとわかるためには外と接した方がいい。上司に相談するよりも、社外で同世代の知り合いがたくさんいれば、そこから自分で答えを見つけていく方が賢明な気がするのです。