418日
ナレッジを考える。
まず4章限のお話から。
出典:ほぼ日(糸井重里×濱口秀司の対談より)
USBフラッシュメモリの開発などで知られるビジネスデザイナーの濱口秀司さん。人に教えること、指導についての対談パートがあって、4象限のモデルに深く共感した。
まず、言語化できる/できないの横軸。そして何をすべきかのWHAT/どうやったらいいかのHOWの縦軸で、それぞれをとらえることができる。
言語化できる左側の領域はわかりやすい。具体で表すとWHATだとTo Doリスト。まさに「何をすべきか」。HOWだとマニュアルになる。どのような手順を踏むのか。
言語化できない領域のHOWはスキル。WHATはナレッジと置いている。たしかカルチャーとも呼んでいた。濱口さんは寿司職人を例に話す。一人前の寿司の職人たるものというふるまいにマニュアルはない。師匠を見て芸を盗むしかない。だからまず、新人は床掃除から始める。
昔ながらのように見えるこの方法には長所と短所がある。まず長所は、弟子が師匠を追い越す可能性があるということ。なぜなら自分自身で考えなければならない機会が多くあるから。短所は非効率であることが挙げられる。企業でいえば即戦力が求められるゆえ、どうしても効率的な方法を優先する。
すると手順書(HOW)にそってTo Doリスト(WHAT)をこなしてもらった方が、教える側も楽だし、効率がいい。世の中の教科書の教え方はだいたいこの要領。しかし、それでは部下は考える機会が減り、仕事が作業化してくるのである。
ぼく自身、言語化できない領域について考えていたところ、見事に4象限で「ナレッジ」という部分を可視化してくれた。「考え方のバッググラウンド」というふうに自分ではとらえていた。自分が上司だとして、どうすれば部下が育つのか。どうすれば自分以上に考えて行動をするように教育ができるか。
この言語化できない領域でとくにナレッジは、何なら「人間性」というパーソナルな問題で片付けられてしまうおそれもある。
濱口さんはこれを解決するために、職人の育て方を軸に工夫して効率化を図っている。かんたんにいえば穴埋め問題のように、大事なキーワードを一部みせて、残りを考えて行動させる。まかせて責任は上がとるようにどっしりかまえること。このようなことを対談の中で話されていた。
自分を見つめてみる。年次が若手から中堅にシフトしてきている。ぼくは自分で考えるクセをつけるには、場数を踏むしかないと考えていた。たとえば業務の範疇を超えて、会社でおもしろいことをやろうとすると、まさにそれにはTo Doもないし、手順書もない。つまり言語化されていない領域を自分で考えるしかないわけだ。この経験は失敗しても自分の成長につながることはまちがいない。
では例ではあるけれど、会社でおもしろいことをやろうとするのは、正直なところ、その人自身の判断に委ねられている。機会は多くないけれど、手を挙げればそこに挑戦できる環境はある。しかし、仕事とは「手順書にそってTo Doリストをこなすことである」という考えを持っていると、いっこうに業務範疇からはみ出すことはない。
そうなると本人のやる気次第、つまり人間性であり、価値観、パーソナルの領域に触れざるを得ないのである。ここが正直むずかしい。なぜなら手順に沿ってこなすことは効率的であり、まちがいではない。そして上司によっては言語化できるなかで仕事を求める者もいるから。
言語化できないということを習得することは、その人のスペシャリティになる。替えがきかないから。寿司屋の職人にはその説得力があるんだと思う。どこに価値を置くのかは人それぞれ。ぼくは考えて習得しないといけない右側の領域に注力していきたい。