DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

420日

自由大学について考える。
自由の大学?ひとことでいうと、大人の学びの場だ。市民大学と呼ばれる分野に入ってくるのかな。大学という名前がつくものだと、丸の内大学が広く知られているかもしれない。学校法人ではなくて一般企業が運用しているのが特徴だと認識している。自由大学は、イデーの黒崎さんが代表を務めている。

そういえばミッドタウンのイデーカフェに最近いったなあ。そうそう、黒崎さんのことは草彅洋平さんをきっかけに知り、お名前で検索をかけるなど、そこから調べていったなかで偶然、自由大学なるものに出会った。

なぜ自由大学について考えたいというと、これから数年は「学び」が注目されてくるからというのと、ぼくが12月より「カルチャーアントレプレナー」という講義を受講するからだ。この講義はひらたくいうと、起業をする思考の種まき。

「カルチャーアントレプレナー」には、自分と社会との接点をどのように見つけて耕し、持続性あるもの(=会社)として社会に貢献できるか、この視点がある。まさにぼくが考えていたことと一致し、深く共感した。講義名は造語らしいけれど、いいネーミング。

会社や起業というと多様な側面があって、たとえば学ぶにしても経営視点であればMBAがあるし、会計という視点ではそれに準ずる資格がある。起業塾なるものも存在しているし、まずベンチャーの方と接点をつくりたければ、サンカクという斡旋してくれるサービスもあるし、世の中探せばいろいろあるもの。

ぼくが意識しているのは、HOWよりもWHYであること。方向性としては会社という器をつくるから、そのために中身をつめていこうという発想ではある。しかし、なぜ器が必要なのか、器によって社会と自分以外の世界にどう接して、どう貢献していくかの視点を養いたいと考えていた。ここをはっきりしないかぎり具体的な行動には移せない。

自由大学の話に戻すことにする。ここはユニークで温かい。なぜか。一つは、自由大学で学んだ生徒が講師や運営に参加してまわしているところが大きい。いってみれば、参加者だけでつくられた市民大学だ。

もちろんゲスト講師とか、そういったお招きも沢山あると思うのだけど。でも、中心にいるのは、生徒出身の方々。だから参加者目線がつねにあるし、参加者のことをお客さんと見なしていない。

一度、講義の説明会に行ってそのときに、一緒に学んでいく姿勢をひしひしと感じた。コミュニティ運営のなかのキーワードとして「参加者の自走」がよく挙がる。その意味では、まさに自走のお手本。

まず受講生として参加して、繰り返し共感し、お手伝いのようなかんじで関わり、やがて運営の一員となる、そんなような仕組みなのだろうなあ。全然別だけどぼくが最近参加している早起きのコミュニティがあって、あちらも参加者を運営にひっぱっていくようにしている。いいかんじだ。

学びの自走システム、ここは注目。学びの場をつくろうとすると、著名人や有名の講師を招聘して、そこに生徒を募集するのが一般的。運営側に体力がないと、継続性はなかなかない。キュレーターがいて、その人脈をつかって、講師を毎回ひっぱっていくとしても、中心人物がいなくなってしまえば、講師はつもれなくなってしまう。たいせつなのはどこに目的を置くか。

自由大学の場合は、受講者が講義を通じて成長し、その後それが本業ではないけど講師として学びの恩返しをしていくようなイメージ。12月からは参加して学びながら、自由大学のエッセンスもいい意味で盗みたい。楽しみだ。