424日
「モチベーションをコントロールする、そのためには〜」
というような記事をNews Picksで読んだことをふと思い出した。
「人にはいくつかタイプがあって〜」と、性格の分類があった。
おぼろげな記憶だけど、「自分はこれだ!」と感じたタイプがこれ。
「他人との約束は守る。自分には弱い。」
たとえば友だちの頼み事は守るけれど、自分で「やる」と決めた毎日の運動は3日で断念するとか、そういう類いのこと。
自分に弱いとは、己をないがしろにしているわけでなくて、
人間は誰でも自分には甘いというか、弱いことがそもそも普通だと思っていて。
そこで他人と約束(共有)すると使命なるものが生まれ、それが自分ゴト化すると、
ガソリンに火がつくように機能する。
よくダイエットをするときに周囲に宣言するといいって言う。
これは理にかなっていると思う。
「人は他人のためでないと動けない」とまで言う方もいるわけで。
「友だちのあの子に宣言した約束を守るため!」という動機にしてしまってもいい。
まわりまわって自分のいいことに返ってくるんだけど、
モチベーションつまり動機を意図的に「誰かのため」としてしまう。
ただし周囲に宣言することはやみくもにやりたくはない。
「また言っているよ」となると約束の制約力のようなものが落ちてしまう。
第一、守れなければ周囲の信用を落としてしまう。これが重要。
「自分で決めたことを守れない人だ」というレッテルが貼られる。
逆もしかり。「自分に嘘をつかない人、やると決めたら実現する人」というように、身近なことでも約束を守ることで信用は上がっていく。
キングコング西野さんが信用を貯金の概念で貯めると言っていたけれど、たしかに積み上げていくものだと思う。
残念ながら、約束を守れず信用が落ちれば、砂時計の器が粉々になって、貯めていた信用が砂のように一瞬で流れ出し消える。他人との約束は信用に関わってくる。
もちろんがんばったけれど目標未達ということであれば、プロセスをわかる人はちゃんとみてくれている。というか人は結果よりも姿勢もみている。宣言した後のその人の姿勢だ。姿勢がなければそもそも結果は絶対についてこない。
もどって、他人との約束になるとかり動かされる人は
信用が大事であることがわかっているからなのだと思う。
こういった行動規範がモチベーションに関わっているというのはおもしろいと思っていて。自分をかり動かしたいときに、どこのスイッチを押せばいいのか。コントロールできると、人生がもっとおもしろくなる。
この日記のこと、誰かに宣言してこよう。