DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

425日

ビジョンという言葉を考える。

日本語に訳するとイメージとしては「これからこうしたい!という意思の固まり」。本を読んでいると、「ビジョン」をよく目にする。

たとえば「コンセプトのつくり方」。企画、コンセプトの大切さを感じて手に取ったのだけど、ここでもビジョンが出てくる。

というのも、企画にはまずビジョンが必要だと。それをまるっと具体策に落としこもうとするとボトルネック(課題)が見えてくる。その課題を解決する新しい視点、方向性がコンセプトであると。

つまり、そもそもビジョンなしにコンセプトなんてないよっていうお話だった。わかる。じゃあビジョンってなにか。「金儲けの先にある基本的な価値観や目的意識」とある。

若い世代を「乾けない世代」というらしいけれど、現代社会で「こうしたい!」という気持を持つことは時代としても少なくなっているかもしれない。しかし、上記のような金儲けが先にこないというのは、むしろ今っぽくないか?

ということは、いまの時代なりのビジョンは成立する。では基本的価値観と目的意識から考えてみる。

価値観とは噛み砕けば、なにを大切にするか、だと思う。たとえばぼくの場合はこう。「自分が心からおもしろいと思ったモノ・コト・ヒトに対してスポットライトのように光を照らし、拡声器のように多くの方にすばらしさを伝えること」を大事にしている。

それでは目的意識。なんのため。金銭欲ではない。だけど最終的には名声や自分の幸せのためかもしれない。人のためにいいことをすることが自分にとっていいことになる。つまり、自分と自分以外の世界との接点を持ち続けることなのかなって思う。

浮かんだ言葉は「おせっかい」。自分が世界に対してできることなんて限られている。だけど「おせっかい」や「大きなお世話」が世界を変える芽ともいえるかなって。

どういうときにおせっかいをするかというと、誰もやっていない。やっているけれど、物足りない。当人がそう感じれば、そういうことだ。背中のかゆい所に手が届くぐらいのことかもしれない。

でもそれが客観的にみれば社会的意義があることで、端からみれば大義名分があることかもしれない。ゆるぎない大義名分を持つこと、これが目的意識なんじゃないかな。

そういう意義が前に出過ぎると、それはそれで注意したい。なぜなら冷静な判断ができなくなるから。いつの間にか正義をふりかざして我が道を突き進むへんな人になってしまうおそれもある。

じゃあどうするか。それは価値観を自分のコア、核として持ち、そこから目的意識を育てていくことなのかなって思う。大切にしていることを拡張させる。「もっと自分以外の世界のためにこうしたい」と、すこしずつ広げていく。

価値観と目的意識をいったりきたりしながら、ビジョンというものが、形作られていく。そうすれば、ボトルネックが見えてくる。その解決が手段としての会社なのかなって考え始めている。

まずは自分が大切にすることを、あらためて見つめてみよう。